美濃部達吉の祖父・祖母・父母の墓碑が
十輪寺境内に移設
2012年1月14日の神戸新聞の朝刊は、美濃部達吉の祖父・祖母・父母の墓碑につて報じました。
前回の記事と重なりますが余話として紹介しておきます。
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達吉の祖父母・秀軒(しゅうけん)と道、父母・秀芳(しゅうほう)と悦の墓はもともと、高砂市高砂町木曽町の共同墓地にあった。
次男の達吉ら兄弟4人ともが高砂を明治期にはなれたといい、墓は達吉の兄・俊吉のその知人とその遺族が守ってきた。
2009年には俊吉の遺族が墓を東京へ移した。
3基の墓碑だけが高砂に残ることになり、「美濃部達吉研究会」と遺族が石材店で保管。
「達吉の功績を伝える重要な文化財」として保存を計画した。
十輪寺の西田光衛住職(当時)に相談したところ、境内に置けることに。
募金活動で費用を捻出して、昨年(1211年)11月、墓碑を移設した。
達吉の父、秀芳は蘭学医で、姫路藩の学問所「申義堂」で庶民の子弟を教えた。
その申義堂は、十輪寺前に再建され、(1月)14日から一般公開される。
墓碑の移設に併せ、一族の功績に改めて光が当てられることになる。(no3580)
*写真:十輪寺に移設された美濃部家の墓碑(左:母・悦、中央:父・秀芳、右:祖父秀軒・祖母道)
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