人麻呂の思いは?
万葉集に柿本人麻呂の次のような歌があります。
稲日野も 行き過ぎがてに 思へれば
心恋しき 加古の島見ゆ (巻3-252)
*稲日野は印南野と同じ
おせっかいですが、歌の意味を載せておきます。
広々とした稲日野の近くの海を航行していた。船足がはかばかしくない。いろいろと物思いにふけっていると、やがて恋しい加古の島が見え出した。
人麻呂は九州方面に航行中?
人麻呂は、加古川の沖を航行中、「加古の島」を眺めながらこう歌いました。人麻呂が歌った時、彼は九州方面へ向かって航行中なのでしょうか。
それとも西国から大和へ帰る途中だったあのでしょうか。
多くの研究者は、西国から大和への帰途に詠んだ歌としています。
どちらでもいいのですが、中島信太郎氏(故人)は、『海の万葉』(のじぎく文庫)で九州方面へ行く途中、加古川沖で歌ったのではないかと述べておられます。
私も、中島先生のご意見に賛成します。
加古川沖は、明石海峡(明石大門・あかしのおおと)から少し離れた場所です。
帰りならば、「もう少しで明石大門だ。懐かしい大和はもう少し・・・」と胸弾ませて詠んだはずです。
上の万葉集では、そんな躍動した感情が感じられません。寂しささえ漂っています。
人麻呂は、加古の島にどんな思いを込めたのでしょう。
研究者は、加古の島は、前号で紹介したナビツマ島であるとしています。(no3854)
*写真:『海の万葉(中島信太郎著)』(のじぎく文庫)
◇きのう(1/25)の散歩(12.945歩)