村人は、「きっと鬼だ。神出鬼没の鬼が子どもをさらったに違いない」とささやきあった。
不思議なことが続いている。
北風の吹く夜、村はずれの水車小屋の近くに美しい女がさびしげに立っていた。
若者は、その女の後をついていった。立派な家に着き、風呂にも入れてもらって気持ちがよくなり眠りこんだ。
寒気を感じて目を覚ますと、山の中の肥壷にいた。こんなことが幾度かあった。
子どもは、依然として帰ってこなかった。
「これは、あの鬼の仕業に違いない」と村の修験者が、夜鬼を待った。鬼は出てこない。
ただ、美しい女が現れた。「鬼が女に化けているに違いない」と女の後をつけた。
女は、上西条、中西条の村を越え、城山(じょやま)に消えた。
修験者は、城山にひそんだ。
夜半、女の足音と子どものすすり泣きが聞こえてきた。飛び出したが誰の姿もなかった。
「鬼子母神(きしぼじん)が子どもを食うという話を聞いたことがあるが、鬼子母神がこの山に住んでいるのではないか」と修験者は思った。
修験者は、村の衆と相談して村の寺(萬福寺)の一角に鬼子母神を祀る祠を造った。
その後、子どもたちはさらわれなくなったと言う。
こんな話が、下村(加古川市八幡町)に伝わる。
昨日のブログ「ちいさな地蔵」の水車場のあった場所と「鬼子母神(美しいて女)」の現れた場所が重なる。悲しい歴史が形を変え語られたのかもしれない。
*『ふるさとの民話』(加古川青年会議所)参照
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