ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(6):泣けばとて、かえるものかよ

2011-06-04 08:16:27 |  ・加古川市西志方

花と流星の詩人・植原繁市

   Kakogawa今にも泣き出しそうな空でした。

 風もない。木々のざわめきもない・・・

 長楽寺の境内は、時間が止まっているようでした。

 植原繁市には、こんな風景が似合うのかもしれません。

 境内の隅に繁市の歌碑(写真)があります。

     人に告ぐべき

     寂しさにはあらぬ

     ゆふぐれをひとり杜にきて

     しみじみと樹をゆする

        泣けばとて、かえるものかよ

        告げばとて、癒ゆるものかよ

        しみじみと樹をゆする

 繁市の唯一の詩集『花と流星』にある詩「寂しさ」です。

 繁市は、明治41年、志方町横大路で生まれ、小学校でも病気がちで、姫路商業高校に入学しましたが、胃腸疾患のため二年で退学します。

 そうした病弱が彼の繊細さを育てたのかもしれません。

 繁市に関して紙面の関係で多くを紹介できないのですが、『鹿児(第80号)』(加古川市学会機関誌)で、高橋夏樹氏が論文「花と流星の詩人・植原繁市」を書いておられます。

 繁市は、西条八十主宰の『愛踊』に多くの作品を発表しています。

 繁市の作詞による加古川音頭は、今も歌い継がれています。

 実生活としては、生涯志方町の職員として働き、収入役の重責もまっとうしました。

 昭和46320日死去。63歳。

     (2007118の「ひろかずのブログ」より)

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