右岸(西岸)の加古川は、大規模で暴れ川
左岸(東岸)の旧流路は、右岸より(川)幅が小さく、湾曲も右岸と比べると少なく、したがって、自然堤防の規模も小さくなっています。
つまり、左岸側の低湿部の形成が比較的緩やかな流れのもとに形成されています。
左岸(東岸)の中津から河原村(加古川町大野)付近までは、その低湿部は自然堤防上に形成され、その表土層は、きめの細かい細粒質の土砂からなっています。
これは、この部分の堆積が水勢のきわめて緩やかな環境下で行われたことを示しています。
*≪自然堤防≫
河川は、上流から土砂を運搬してきて下流で堆積させます。流速が速いと粒子の大きなれきや砂も運搬されますが、流速が遅くなると粒子の大きなものから順に堆積していきます。
平野部を流れる河川が大雨などで流量が増すと、普段より多くの土砂が下流に運搬されます。
しかし、河川の水が河道からあふれだすと、そこで流速は急激に低下し河道の外側に砂などが堆積します。
洪水を繰り返すと河道の外側に周囲よりわずかに高い砂地の土地ができます。これが自然堤防です。(HPより)
左岸(東岸)の低湿部は右岸よりはやく発達
左岸(東岸)の低湿部の旧流路周辺は、比較的に早く陸化し、利用されたようです。
そして、流路跡も用水(のちに、五ヶ井用水と呼ばれる)として古くから利用されています。
「用水路」が発達していたことは、水田が右岸(神吉地区)より早く発達したといえます。(no3076)
*挿絵:自然堤防(HPより)
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