寺の町
曽根神社の北で、浜国道(県道718号線)の北辺りを歩きました。
まちなみは複雑です。
狭い道にそって沿いに高い塀や倉が続いている風景は、豪商の家屋敷の存在を感じます。
そして、通りを歩いていると、いきなり山門が現われ寺があります。
曽根は、もとともと産業・交通の要地でした。
寛永16年(1639)以降姫路藩から離れ幕府直轄領・一橋などとなったためか、富と権力をもつ庄屋、商人が多い町でした。
それらの寺は、豪商の信仰心と財力が結びつき、彼らにより建てたといわれる寺がたくさんあります。
本荘宗固の臨川寺(りんせんじ)、河野天佑の周徳寺(しゅうとくじ)、入江宗庭の瀧沢寺(りゅうたくじ)、河野八蔵の光照寺(こうげんじ)などです。
今でも、狭いこの町内に八ケ寺もあるというのですから驚きです。元はさらに多かったようです。曽根は寺の町です。
臨済宗のお寺
それらの寺のほとんどがこの近辺では少ない臨済宗のお寺です。
なぜ、このような禅宗寺院が多いのでしょう。
『高砂市史(第二巻・通史編近世)』は、次のように記しています。
「・・・現段階では、臨済宗のお寺の多い理由は不明とせざるを得ないが、共同体への布教を中心に勢力を拡大した(浄土)真宗などの宗派とは異なり、本来的に禅宗の地方への展開は土豪など各地域の有力者を護者とするものである。
曽根地域の土豪的存在による禅宗帰依と永源寺派や妙心寺派の播磨進出が重なったところに、こうした状況が展開したのであろう。
いずれにせよ、その詳細は後日を期さねばならない。・・・」(no2745)
*『高砂市史(第二巻・通史近世編)』・『高砂の史情(森本勇著)参照
*写真:円通寺(曽根町・臨済宗)
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