ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

かこがわ100選(37):中西廃寺

2013-03-30 07:15:37 |  ・加古川100選

中西廃寺         *西神吉町中西

 Photo 日本に仏教が伝わった。

 まばゆいばかりの仏像を見て、はっきりとその教えは分からないものの人々は畏れ、尊崇した。

 その後、仏教は日本各地に広がり、やがて加古川の地にも伝えられた。

 それも、比較的早い白鳳時代(645710)である。

 加古川市西神吉町中西にあった寺院(中西廃寺)もそのひとつである。

 『加古川市史(第一巻)』は、次のように述べる。

 ・・・この寺院(中西廃寺)は、正式な発掘調査が行われていないため、詳細は明らかでない。

 ・・・現在、薬師堂境内の西南隅にある塔心礎(写真)は、1919年(大正8)に元の位置より50センチばかり移動したという話があるが、伽藍配置を復元する有力な手がかりとなる。

 法隆寺式伽藍を備えていたようで、創建は白鳳時代である・・・

 白鳳時代、各地に破多くの寺院が建てられたが、その創建者は、どんな人物だろうか。

 7世紀になると古墳を造る風習は次第に衰え、消えてゆく。

 これは、「かつて、古墳を建設した有力な豪族がやがて、仏教の影響を受け、古墳に代わって寺院を建設したのだろう」といわれている。

 平荘湖の周辺に、たくさんの古墳がある。「あった」と言った方が正確であるのかもしれない。

 これらの古墳の内の有力者が、中西の寺院を建設したのではないだろうか?

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