志方町には130あまりの池があります。
それぞれ歴史的な背景は異なりますが、多くの池は旱魃や洪水時に、なんらかの争いを経験しています。
大池の水争いをみておきます。
大池の水争い・山中新村敗訴
明治10年11月、「大池」の水をめぐって、大池から水を得ている成井村・西牧村・横大路村・原村・永室村が、山中新村を姫路支庁管内飾磨裁判所に訴えました。
大池の水は、上流(大池の1kmほど姫路より)の中山新村の小さな焼山池に流れ込み、そこから大池に流れています。
天明三年(1783)には、双方が証文を取り交わし和解していました。
弘化年間(1844~48)に、改めて証文を取り交わしています。
その中に「大池が満水の上は、焼山池へ水譲りもうすべし・・・」という文言があり、これをめぐって争い裁判に持ち込まれたのです。
結果は「山中新村の焼山池は、下流の大池が満水でない時は、水を取り入れることはできない」という江戸時代の慣行どおりに決着しました。
以上のように、明治時代の裁判でも農業用水は、江戸時代から続く水利慣行が守られました。
*写真:原大池の風景
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