六分一、森安、中村の集落をぬけると、中村向山集落の手前に五郎右衛門池があります。
道は舌のような地形の頂上部を西へと伸びています。
大体海抜40メートルの高いところから徐々に低くなっています。
道の北も南も急に低くなっています。
五郎右衛門池
向山の手前の五郎右衛門池あたりで、道は海抜46.9メートルで、池は道に沿って南側に造られています。
地形から考えて、自然のままではこの場所には水がありません。
反対に、池があり、水を溜めることができれば、一帯は新たな田畑が開かれます。また灌漑には絶好の位置です。
五郎右衛門は、蛸草大池(天満大池)から水を引き、この場所に池を造ることを考えたのでしょう。
そして完成した池は、五郎右衛門の指導により造られたので五郎右衛門池と呼ばれました。
五郎右衛門は、大庄屋です。恐らく工事費も彼が工面したのではないかと想像します。
五郎右衛門の最大の事業は蛸草新村の開発でしょうが、この五郎右衛門池も彼の功績の一つです。
その外、幸竹新村も彼の指導によるものであるといわれています。
五郎右衛門は、ずいぶん農業開発に情熱を傾けた人物のようです。
*写真:五郎右衛門池(夕方の五郎右衛門池)
<お知らせ・国岡新村を紹介>
いま、ブログでは「中村」の探訪をしています。しばらく、このシリーズを続けますが、土・日は、国岡を散策してみます。
というのは、先日「土地改良区」で古文書を見せていただきました。
ビックリするほどの数です。少し長期にわたると思いますが、少しずつ紹介して、昔の「国岡地区」(国岡新村)をあぶりだしたいと考えています。
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