川筋変更問題
「・・・(法華山谷川は)行常を出たあたりから高畑にかけての川の底が両側の土地より高くて、どうも自然にできた川とは思えない。
ちょっと雨が降ると堤すれすれに増水して今にも堤防が切れるばかりである。
(勿論、現在は河川の堤の補強工事が行われています)
こういう無理があったのは人工的に川筋を変更した証拠だというのである。
つぎに、大沢から細工所にかけての一帯は地下水が豊富で、しかもその地下水は南流している。
すなわち、これは川床なのだという。細工所の南部は、少し掘ると砂礫が多く水がわいて困るそうである。・・・」
『志方町誌』は「(しかし)川筋変更問題は簡単に断じがたい」と河川の流路変更説には慎重です。
志方町の地図を片手に、山から景色(写真:高畑から畑の方向を撮影)を眺めてみると、川筋を変更したことは確かなことのように思えるのです。
・・・・・
もう少し『志方町誌』から引用させていただきます。
「・・・昔の(法華山谷川の)川筋と思われる高畑、細工所、吉広方面は水があり余るほどあって、それほどこの川を必要としなかったのに反して、この川を志方大池の方へ引くことによって、どんなに志方町方面が水利の便を得たか、ということは言えることである。
あるいは、もとからこの川(法華山谷川)は行常あたりから二つに分かれて流れていたのを一つにしたのかもしれない・・・」
このように、『志方町誌』の著者も、流路変更説には慎重ながら法華山谷川の河川の流路の変更説を主張されています。
法華山谷川の川筋変更はいつのことか?
それでは、次に問題なるのは、「川筋を変更したのは、いつごろか?」ということになります。
次号で、考えることにしましょう。