瓢水の父・三代仲春の墓碑は、金蔵坊(別府町以外の人には、分かりにくいのですが、今の「別府町民会館」のある場所)にありました。
江戸時代、その墓地に埋葬されていました
が、金蔵坊が廃止になった明治初年から間もないころに別府町の今の共同墓地に移されたものと思われます。
以前、この仲春の墓標は瀧家の墓地の一角に確かにありました。
それが母・参の墓標と共に姿を消してしまっていたのです。
不思議に思っていました。近くを探したのですが見つかりませんでした。
瓢水の父(三代・仲春)の墓標見つかる
突然のことでした。
最近(10月の終わり)地元のKさんから「瀧さんの御先祖の方から瓢水の母と父(三代)の墓碑は、震災で傷みが激しくなっていたため、少し修理をし、同じ西町の瀧家の墓地から少し離れた場所に移してしています」との連絡があったと知らせてくださいました。
さっそく、訪ねました。
瀧家の墓地から少し離れたところに、まとめて安置されていました。(写真上)
お父さん(仲春)の墓標は奥の砂岩の立派な笠塔婆(写真下)です。
しかし、少し残念なことは、仲春の墓碑には正面右に「元禄四年辛未年」、中央に阿弥陀如来を表す梵の下に「覚元浄法信士霊位」、そして左に「九月二十五日」の銘があるはずなのですが、墓標の前に他の墓があり読むことができません。
上部の文字は、上の隙間からのぞくとわずかに読むことができます。
しかし、下の方の文字は読めません。
確かに前にある墓碑も瀧家につながる人々の大切な墓碑で、仲春の大きな墓標が前に来ては他の墓が埋もれてしまいます。
難しいのですが、母・参の墓標の横に夫・仲春の墓標を安置してほしいものです。
このままでは、きっと参も寂しがっておられると思います。
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