印南新村の免相は一割
江戸時代の年貢は、百姓個人にではなく、村にまとめて課されました。
それを庄屋が中心になり、村人に年貢を割り振るのです。
それにしても、印南新村の免相は、驚くばかりの低さです。
*免状の「免相(めんあい)」は、年貢率のことです。
下の印南新村に残る、宝暦十年(1760)の「年貢免状」を読んでみましょう。
辰年免相之事 印南新村
一、高 四百八拾弐石三斗九升 新田
取米 五拾四石九斗五升弐合 壱ツ壱分四厘
一、高 百九拾五石弐斗九升二合 新田
取米 二拾弐石二斗九升二合 壱ツ壱分四厘
一、高 参百四拾九石七斗八升六合 新田
取米 参拾九石八斗七升六合 壱ツ壱分四厘
税は年貢だけではないのですが、この免相の低さは特別です。
当時の年貢は、生産の高い村々は高く、少ないところは低くおさえられていました。
生産の少ない地域から多くの税を取れなかったのです。
印南新村からは、約1割より多くの年貢を取れば、百姓の生活が成り立たないということです。
もっとも、免相(税率)が低いのは、母里地区の村々に共通していますが、とりわけ印南新村の人々の生活はまずしかったようです。
それでも、将来に希望を持って、この地を離れようとしませんでした。
印南新村の農民の願いは「水」でした。
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