ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(263):長楽寺(28)・池郷

2012-03-29 00:07:54 |  ・加古川市志方全般

地図で長楽寺の前のダンベ池・中池・皿池の場所を確認ください。

これらの池の水は、大藤山からの水を集めて、永室村の田畑を潤い続けました。

この地域は、土地が高く川がなかったので、これらの池の水にたよるより他に方法はありません。

ダンベ池・中池・皿池の水は、農民の命そのものでした。

    昔は助永村・比室村

永室村は、明治9年まで、それぞれ助村、氷村と呼ばれていました。

明治9年に両村は合併して、それぞれの村名の一字をとって永室村としました。

合併の理由は、両村はこれらの池を共同で利用していたからです。

助永村・氷室村の百姓は、勝手にこの水を使うことはできません。

そのため、池の水は厳格に両村で管理されてきました。

026両村は、水に関して互いに話し合い、取り決めをつくり、協力をしなければ村は成り立ちませんでした。

両村は、何かと村の枠を越えて、運営されたのです。

明治9年、両村の合併は、当然のように行われました。

   池郷(いけごう)

このように、池を通じて結びついた村々・地域を「池郷(いけごう)」と言います。

ダンベ池の堤防の北東隅に「蓮池再興の碑」があります。

その碑の其檀部に「池郷中」(写真:右から読みます)とあります。

助永村、比室村はお互いに池の水を共に利用し、利害を共にする池郷でした。

碑文は、干ばつのために、池の水が不足し、蓮池の改修を行った天明から天保に生きた庄屋の記録です。

◇ダンベ池◇

地元の人は「ダンベ池」を「蓮池」と呼んでおられます。

昔は、お盆の頃には蓮の花が咲き、長楽寺はいっそう華やいだことでしょう。

*碑文については『めんめらの生きた道』(磯野道子)を参照させていただきました。

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