穴のあった梵鐘
はっきり覚えていません。写真は、10年以上前に撮影したものです。
曾根町天満宮の西隣りの観音堂の梵鐘です。
現在の梵鐘とは少し違ったカ所があります。現在の梵鐘には、写真のような穴がありません。現在の鐘の穴は埋められ、修復されています。
曾根天満宮横の観音堂は、もと天満宮の北東部にあったのですが、神仏分離により、今の場所に移されました。
鐘には、元禄十年(1697)の銘があります。
梵鐘の穴は、戦争の傷跡!
写真の修復前の鐘をよく見てください。5つの直径1センチほどの穴があけられています。
この穴こそ、かつての戦争の名残でした。
戦争の末期、金属不足のため、寺社の金属類も供出を命じられました。この鐘も、お国のために、供出されました。
これら5つの穴は、供出された後、材質検査のためにあけられたものです。
さいわい、鋳潰される前に終戦になり、集積地に放置されていたものを、かつての住職が取り返されました。
梵鐘の供出は、全国各地で行われました。中には、これに抵抗した住職や檀徒もあったようですが、ほとんどは進んで名誉の応召に応えたようです。
平和のシンボルである梵鐘までを人殺しの武器にしたのです。
水田全一氏は、このような日本の仏教の転落を指摘し、「過去の過ちを再び繰り返さないための戒めとして、観音堂の梵鐘に開けられた穴は記憶されるべきである」と主張されています。
この梵鐘は、「戦争の語り部」として、穴のあいた金のまま保存してほしかった気持ちも残ります・・・(no2736)
*『靖国の真実-玉砕・飢餓・刑死(兵庫人権問題研究所)』(水田全一著)参照
*写真:かつての穴のあいた梵鐘(天満宮隣りの観音堂)