ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(159) 穴のあった梵鐘

2015-03-21 08:08:14 |  ・高砂市曽根・北浜町

   穴のあった梵鐘

 はっきり覚えていません。写真は、10年以上前に撮影したものです。

  曾根町天満宮の西隣りの観音堂の梵鐘です。

 現在の梵鐘とは少し違ったカ所があります。現在の梵鐘には、写真のような穴がありません。現在の鐘の穴は埋められ、修復されています。

 曾根天満宮横の観音堂は、もと天満宮の北東部にあったのですが、神仏分離により、今の場所に移されました。

鐘には、元禄十年(1697)の銘があります。

   梵鐘の穴は、戦争の傷跡!

 写真の修復前の鐘をよく見てください。5つの直径1センチほどの穴があけられています。

 この穴こそ、かつての戦争の名残でした。

 戦争の末期、金属不足のため、寺社の金属類も供出を命じられました。この鐘も、お国のために、供出されました。

 これら5つの穴は、供出された後、材質検査のためにあけられたものです。

 さいわい、鋳潰される前に終戦になり、集積地に放置されていたものを、かつての住職が取り返されました。

 梵鐘の供出は、全国各地で行われました。中には、これに抵抗した住職や檀徒もあったようですが、ほとんどは進んで名誉の応召に応えたようです。

 平和のシンボルである梵鐘までを人殺しの武器にしたのです。

 水田全一氏は、このような日本の仏教の転落を指摘し、「過去の過ちを再び繰り返さないための戒めとして、観音堂の梵鐘に開けられた穴は記憶されるべきである」と主張されています。

 この梵鐘は、「戦争の語り部」として、穴のあいた金のまま保存してほしかった気持ちも残ります・・・(no2736)

 *『靖国の真実-玉砕・飢餓・刑死(兵庫人権問題研究所)』(水田全一著)参照

 *写真:かつての穴のあいた梵鐘(天満宮隣りの観音堂)

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高砂市を歩く(158) 疱... | トップ | 高砂市を歩く(160) 力... »

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (匿名)
2015-10-25 18:07:59
穴は、あいたままですけど
返信する

コメントを投稿