前号で稚児が窟(ちごがくつ)古墳の石棺を紹介しました。
この古墳には、弁天さんの民話があります。
古墳時代の話ではありませんが、余話として紹介しておきましょう。
(民話)又平新田の弁天さん
平荘湖の底に沈んだ又平新田村に弁天池という大きな池があり、池の北東隅の島に弁天さんがおまつりしてありました。
この島は古墳で、弁天さんが、しばしば稚児に化けて、池の表面にあらわれたという言い伝えから、村人は稚児が窟(ちごがくつ)と呼んでいました。
むかし、この村に彦衛門という人がいました。
池守りなどをしていたので、毎日池に行き、いつの間にか弁天さんと心安くなっていました。
ある日、彦衛門はいつものように池の廻りを歩いていると弁天さんが手招きしていいました。
「いっぺん、あなたの家に遊びに行きたいが、私は天界の身、人に見られると困るので、家の者をみんなよそへやってもらえんやろか・・・」
彦衛門は、うれしくなって、急いで家に帰りました。
何とか口実をつくり、おかみさんに親類へ行くよう言いつけました。
おかみさんは、「きっと何かあるぞ」と思いました。
村はずれまで行き、途中で引き返えすと、あんのじょう、家の中から女の人の声が聞こえてきます。
彦衛門が、綺麗な着物を着た美しい娘と話しているのでした。
おかみさんが、のぞいているのを見つけた弁天さんは、「下界の人に見られては、ここに居ることはできません」といって立ちあがりました。
彦衛門は、袖を持って、もどそうとした拍子に、袖がちぎれ、ちぎれた錦の片袖だけが残りました。
島に帰った弁天さんは、「ひとところに長くいては、なじみができていけない」と、淡路島へ行ってしまいました。
弁天さんがいなくなった又平新村では、それから、この片袖をご神体としてお祭しているといわれています。
又平新田村の弁天社は、平荘湖の建設により、現在、湖の南東の堤防に新しく移築(写真)されています。(no5757)
*『ふるさとの民話』(加古川青年会議所編)参照
*写真:弁財天神社(「大河・かこがわ‐56‐」の古墳分布図の稚児ヶ窟古墳の近くの▲の所)
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