ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

かこがわ100選(35):天の岩船

2013-03-28 07:03:43 |  ・加古川100選

私ごとから始めたい。

現在、私の住所は、尾上町今福である。「かこがわ100選」に今福の話題を入れておきたい。独断である。

 天の岩船(あまのいわぶね)    *尾上町今福

Photo写真をご覧願いたい。(祠は、御旅所) 

 今福八幡社の境内の御旅所の前に長さ1.6メートル、幅72センチ、厚さ37センチの直方体の岩がある。

この岩を挟むように両側に長さ1.9メートル、厚さ30センチあまりの自然石が二本おかれている。

説明には「・・・神武天皇(じんむてんのう)が東征(とうせい)の時、乗ってこられた天の岩船・・・」とあり、海に近かったこともあり、海のイメージと重ねて考えられているようである。

*神武天皇の話は、この近辺では多く語られていますが、神話として読んでいただきたい。

この岩は、古墳の石室に納められてあった石棺(せっかん)の身の部分である。

現在では、この岩(石棺)について知る人も、めっきり少なくなったが、江戸時代はひろく知られていたらしく、いくつかの文章にこの「天の岩船」のことが紹介されている。

江戸時代の観光案内書ともいえる『播磨名所巡覧図絵(はりまめいしょじゅんらんずえ)』は、次のようにある。

・・・・

尾上村の田の中に有り、俗に天の小舟という・・・昔の石棺の蓋(ふた)なるべし

・・・

『播磨名所巡覧図絵』にある「蓋」は「身」の誤りである。

また、同時代に編まれた『播磨鑑(はりまかがみ)』には「・・・在長田村、高砂と尾上のとの間、畑中、磐にて船の形なり・・・」と書かれている。

この石棺は、はじめからこの場所に置かれていたのではなく、何時の頃からは分からないが、現在の場所へ運ばれている。

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