「工楽松右衛門物語(19)」で松右衛門の発明を紹介したが、彼の発明は、松右衛門帆や機械工具ばかりでなかった。以下の発明品もこんにちの食生活を豊かにした。
蝦夷との商い
松右衛門のように持船がすくなく、あたらしい商人には、既成の航路に割りことはむずかしい。松前(蝦夷地)へ行く商いの方がやりやすかった。
松前の商品で最大のものは肥料用のニシン(干鰯・ほしか)で、この肥料が上方や播州などの植物としての木棉の生産を大いにあげている。
しかし、この商品は、株仲間が組織されていて、松右衛門のような新参が割りこめないし、割りこめても妙味が少なかった。
そのため、北風荘右衛門は松右衡門に独立をすすめ、あつかう商品として、昆布と鮭をすすめた。
松前から帰ってくる北前船の昆布を大量に上方に提供した。
昆布を料理のダシにつかい、上方料理の味を変えた。
昆布以前と昆布以後とでは、味覚の歴史は大いに変わった。
松右衛門の発明・アラマキ鮭
さらに、松右衛門は、蝦夷地で一つの発明をしている。アラマキ鮭である。
松前(蝦夷地)から運ばれている鮭は塩鮭で、塩のかたまりを食っているようにからいものであったが、松右衛門は松前で食った鮭の味がわすれられず、この風味をそのまま上方に届けたかった。
かれは内蔵やエラをのぞき、十分水洗いをしてから薄塩を加え、わらでつつんだ。
無論このていどの塩では腐敗はふせげない。このアラマキ鮭だけのために早船を仕立てた。
このアラマキ鮭の出現は、世間から大いに喜ばれたが、儲けの多くは、この市を主宰する北風家に吸われていたかもしれない。
ハム、ソーセージ、鰹節などの食品の発明は、人々の生活に大きな影響をおよぼしたが、その発明者の名は知られていない。
アラマキ鮭の発明者は、松右衛門であったことが記録として残っている。