生石神社の梵鐘、大垣市の重要文化財に
前号で、戦国時代、生石神社は秀吉軍の攻撃に会い焼失したことを紹介しました。
以下は続きです。
焼け残った梵鐘は持ち去られ、関ヶ原の戦いに西軍・石田三成の方の大谷吉継軍の陣鐘として使用されました。
その後、徳川家康は、その梵鐘を戦利品として美濃国赤坂の安楽寺(大垣市)に寄進しています。
鐘の表面には、応永26年乙亥(1419年)「播州印南郡平津庄生石権現撞鐘」と刻まれています。
この元生石神社の梵鐘について、上月昭信氏は『東播磨(地域史論集・第22号)』で紹介しておられます。その一部をお借りします。
「・・・鐘楼は(安楽寺の)本堂に向かって左側にあり、大きくて立派な梵鐘がつりさげられており、・・・平成25年に鋳造されたものである。
生石神社の旧梵鐘は、数奇な運命をたどり、大垣市赤坂の安楽寺に運ばれ、昭和42年に大垣市の重要文化財となり、平成25年まで鐘楼に懸けられていたが、新梵鐘完成後は、客間入口玄関の土間に大切に保管されている。・・・・」
*『東播磨(22号)』参照
詳しくは、上月氏の論文をお読みください。(no3397)
*写真:元生石神社の鐘(現:岐阜県大垣市安楽寺)、『東播磨(22号)』より
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