ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(30) 古墳時代(6)、御陵(3)・「ひれはか」ヘンシ~ン?

2017-11-26 08:16:18 | お爺さんが語る郷土の歴史

       ひれはか(御陵)ヘンシ~ン?

 「ひれ墓」(加古川市大野)について、気になる話があります。

 『考古学研究』に掲載された歴史学者の春成秀爾氏の論文の一部を紹介します。

  ・・・この御陵(稲日大郎姫の墓)は、・・・堂々とした前方後円墳なのです。そして、戦前この陵に墓守が置かれており、毎日朝八時から夕方五時まで腰に剣をつって勤めていたといいます。

 そして、某氏宅に記録が残っており、次のようなことが書かれています。

  (一) 明治十六年(1886)宮内省により景行天皇の皇后の陵に定められた。

  (二) 明治二一年(1888)玉垣・石燈ろうを置く。

  (三) 明治三六年(1901)置き土をなす。

  (三)の「置き土をなす」の部分に注目してください。

 この記録はどこに、どの程度の置き土をしたかのかについては書かれていません。ともかく置き土をしたとする記録です。

 また、戦前、考古学者の赤松啓介氏が調査中に、土地の人から「もともと円墳であったところに盛り土をした・・・」と言う話を聞いておられます。

 『風土記』(上田正昭編・社会思想社)で、神戸女子大学の浅田芳朗氏は、次のように書いています。

 ・・・日岡古墳の名は延喜式にも見えていない。『祖先のあしあと』の著者が言うように「一説では、明治初年に円墳だったのを天皇関係の御陵には円墳がないというので前方部分を付け加え改造したという・・・

 その他、多数の研究結果も、そのことを指摘しています。

 現在、この事はあまり論議(研究)されていません。(no3793)

 ◇きのう(11/25)の散歩(10.483歩)

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