その南に「石井さん」と、地元の人に呼ばれている「石井の清水」がある。
昔、「石井の清水」は、よほど有名であったのであろう、江戸時代の観光案内書『播州名所巡覧絵図』にも、次のように紹介されている。
◇石井の清水◇
・・・中西村にあり、石井と号(なづ)けしは、方三尺斗の石、丸一尺二寸の穴を穿(うが)ち、井の上に置り。
故に、石井といふ。清水は近郷の名物にして、溢れて流るゝ事、昼夜を捨(すて)ず。
昔、侯泊(こうはく・・・ここでは大名の意)、茶の水に汲みし也・・・
この文章にある「三尺斗の石」は中西廃寺の塔の露盤である。
(中西廃寺については、明日のブログの予定)
先日、この清水を訪ねた。写真のように「石井さん」は鉄の蓋がされて、現在は使われていない。
水道の時代になり、その役割を終えたのだろうか。
昔、西神吉地方は、水の質も悪く・水量も十分な地域ではなかった。
水との苦闘の歴史を持っている。
この「石井さん」は、村の人々の生活を支え続けてきた。
*『播州名所巡覧図絵』、『私たちのふる里(第一集)』(加古川市立西神吉小学校PTA)、『ふるさとの民話』(加古川青年会議所)参照
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