高瀬舟(2)・高瀬船の活動期間
9月の彼岸~翌年の5月の八十八夜
加古川は、農業用水の水源でもありました。
田植えの時など、加古川には各所に堰がつくられ、高瀬舟の運行はできませんでした。
高瀬舟の運行は、九月の彼岸から翌年五月の八十八夜までと限られていました。
この間、堰は壊され高瀬舟の運航が可能でした。
したがって、この時が、高瀬舟の活動期間で、高砂の港は大賑わいになりました。
さて、高瀬舟であるが滝野から高砂まで約37キロ、朝四時ごろに出発し、4~5時間で高砂に着きます。
下りは、水流にのって行くのですから、危険はあったが便利でしたが、帰りが、大変でした。
帰りは流を逆行するのであるから、船頭は先頭に座り、艫乗り(とものり)は、最後尾にいて、船頭の支持どおりに櫓を操りました。
中乗りは「かい」を使って船を進めました。
早瀬となると、容易に前に進んでくれません。
こんな時は、船頭が船に残り他の二人は河原にあがって引綱をひっぱるのです。
苦しいどころの作業ではありません。
この姿が「さる」に似ているので、船を引く船子は「さる」と呼ばれました。
船子のかけ声が、「さる」のホー・ホーという鳴き声に似ていたからともいわれる。
*絵:蓬莱家(加東市大門)所蔵
『KAKOGAWA-加古川とその周辺の歴史-』(伊賀なほゑ著)参照
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