瓢水の生涯(1) 芭蕉の系列
江戸時代(元禄時代)、日本全国を驚かせたのは、赤穂浪士の仇討ちです。
元禄15年(1702)のことでした。
この時、瓢水は19歳で最も多感な青年でした。
「元禄時代」は、平和を謳歌した時代です。
商業の時代でもあり、風潮は、「武」は衰え「文」に流される時代となりました。
そんな時代にあって、赤穂浪士の事件は、「武が残っていた」として当時の人々は、大いに拍手を送りました。
元禄時代は、武士をやめ、町人になった人も多くいました。
特に、この時代大坂町人であった井原西鶴は、当時の世相をありのままに小説にえがきました。
武士の出身であった近松門左衛門は、義理人情の世界を人形浄瑠璃に描きました。その他、歌舞伎なども盛んになりました。
瓢水もこの時代の空気をいっぱい吸って成長した人でした。
俳句の世界では、伊賀の上野に生まれた松尾芭蕉が活躍がありました。
瓢水の俳句は、松尾芭蕉→宝井其角(たからいきかく)→松木淡々(まつきたんたん)の流れの中に位置づけられています。
淡々は、江戸で俳諧を芭蕉・其角に学びのちに、京都・大坂で活躍し、宝暦11年(1761)、大坂で、その生涯と閉じています。
次の俳句は、松木淡々の作品です。
梅の花 答えて云く 梅の花(松木淡々)
瓢水の句を一句紹介しましょう。
蔵売って 日あたりのよき 牡丹かな(瀧瓢水)
二人の作品は、どことなく似た作風だと思われませんでしょうか。(no3351)
*絵画:芭蕉が「おくのほそ道」を執筆している間の元禄6年(1693年)春に門弟が描いたもの。芭蕉存命中の作品であることから、「おくのほそ道」の旅姿が忠実に描かれ、芭蕉の晩年の顔立ちもこれに近いものだったと推測されます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます