南粟津:加茂神社
粟津地区の南部は加古川駅に近く便利な地域です。
それに、加古川中央線(鶴林寺の北を走る東西の広い道路)が開通しました。
農地は、住宅地、商業地と猛烈な勢いで都市化が進み、人口も増加し粟津は適切規模をこえるまでになりました。そして、粟津の南部は南粟津町内会を結成しました。
そして、新しい町のシンボルとして、加茂神社を創設しました。
加茂神社の説明の前に摂、境内社、境外社を整理しておきましょう。
◇摂社・末社◇
現在は、摂社・末社に関する規定は特にありません。
が、一般には、摂社はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、末社はそれ以外のものと区別され、格式は本社が最も高くそれに次いで摂社そして末社の順とされていました。
そして、本社の境内にあるものを境内摂社(けいだいせっしゃ)または境内社、境内外に独立の敷地を持つものを境外摂社(けいがいせっしゃ)または境外社といいます。
加茂神社は、昭和57年に創設
南粟津の加茂神社は、もともと粟津神社の境外摂社でしたが、昭和57年(1992)、南粟津町内会の人たちで社殿が増設され、玉垣が整備されました。
祭神:別雷命(わけいかづちのみこと)
鳥居をくぐって、正面が加茂神社であり、西側に「加茂神社跡」の石柱があります。
この場所に加茂神社の元となった粟津神社の境内外摂社がありました。
現在、加茂神社の境内社としては、太神宮が祀られています。「太神宮」は、伊勢の国に鎮座する神宮の祭神です。(no5658)
*写真:南粟津加茂神社と加茂神社の元になった摂社の場所に建てられた碑
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