ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

お爺さんが語る郷土の歴史(139) 文観を追え(16)、真言律宗の足跡(8)・天満大池再考(1)

2018-04-06 08:34:23 | お爺さんが語る郷土の歴史

 突然、天満神社(稲美町)の話が飛び出し、「文観・西大寺等と関係がない」と思われたと思います。

 しばらく辛抱してお読みください。次回で種明かしをしましょう

    天満大池再考(1)

 国安天満神社(稲美町国安)の沿革

 『稲美町史』より国安天満宮の沿革をみておきます。

 ①国安天満宮(稲美町国安)のは白雉(はくち)4年(653)、王子権現という錫杖地蔵を勧請して創建されたもという。

 その場所は、国安東で、現在の神社のある地をお旅所としていた。

 寛平5年(893)社殿を今の地に移し、池大明神(大年大神)を祀った。

 天満大池は、白鳳3年(675)に築造された。

 ②延喜元年(901)2月、菅原道真がこの地に立ち寄られたという縁で、後に京都の北野天神を勧請して池大明神の右側に奉納した。 

 ③明徳元年(1390)、大池に島を築き弁財天を祀るとともに、本社の主神の左側に弁財天すなわち市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀った。 

 ④永禄8年(1565)6月、本社を再建したが、この時に主神を天満天神(菅原道真)とした。 

     天満大池は白鳳3年の造築か?

 祭神の池大明神は大池を神格化したもので、伝承では大池の歴史は古く、白鳳の頃には築かれたと伝えています。 

 この伝承を、考えてみます。

 この地域を開拓した人々にとって、池(水)はまさに神であり、大池は池大神として祀られました。 

 天満神社は、まず池大神が、次いで菅原道真が「この地に立ち寄られたという縁起」で、ここに祀られたと伝えられています。

 そして、「永禄8年(1565)、本社を再建した時に、主神を池大神から天満天神(管原道真)とした」というのです。 

 天満神社は、池大神を祀る神社として出発しています。

 天満大池は稲をそだて、生活を豊かにしてくれる神だったのです。(no3418)

 *写真:国安天満神社

 ◇きのう(4/5)の散歩(11.293歩)

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