旧加古川大橋とその跡の橋げたの土台
加古川の大橋(国道2号線)のすぐ北の川面に転々と橋げたの土台の部分が残っています。
今日は、この橋げたの土台と旧橋の話です。
加古川は、古代から流路を何回も変えた暴れ川でした。
技術的な問題もあったが、江戸時代は、何よりも姫路城の防衛のため加古川に橋が架けられていませんでした。
明治時代になり、何回も橋が架けられるかけられたのですがその都度流されてしまいましまいました。
大水に流されない、がっちりとした鉄の橋が求められました。
そして、大正2年6月に、本格的な鉄の新橋(写真上))が架設されました。
その鉄の橋の橋げたの土台が、今の国道2号線の北に点々と残っています。
やがて、交通量が増えました。それに自動車が登場します。そのため、新しい本格的な橋が求められたのです。
それが、一部改築されましたが、現在の橋です。その橋が現在大変貌されようとしているのです。
写真で、大正2年6月に架設された本格的な鉄橋と橋げたの土台を見ることにしましょう。
*写真:『写真集・明治・大正・昭和の加古川』玉岡松一郎編(国書刊行会)