ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新ひろかずのブログ(5) 渋沢栄一と高砂(5)・細工所(加古川市東志方細工所)陣屋跡

2021-01-04 08:18:16 | 新ひろかずのブログ

   (復習)東志方9ヵ村・高砂三ヵ村は、小田原藩領に

 前号の復習です。宝永の富士山の大爆発(宝永4年・1707)の後、小田原藩の領土の過半を一時、幕府に返上にしてしまいました。

 そして、小田原藩は、それに代わる土地を宝永年に、復興がなるまでという期限つきでしたが、新たな領地を得ました。

 その一つが、高砂の3ヵ村、東志方の9ヵ村でした。、

 この状態が約40年、延享年(1747)まで続きました。

    東志方ヶ村・高砂3ヵ村一ツ橋領(天領)に

 その後、東志方・高砂のこれらの村は、新たな支配領に組み込まれることになります。

 八代将軍・吉宗は、家康によって創設された御三家にならって御三卿(ごさんきょう)を創設しました。

 東志方・高砂3ヵ村々は、小田原藩の領土でしたが、延享年(1747)から今度は御三卿の一ツ橋家の領地に組み込まれました。

 これらの村々は、一ツ橋領の天領として江戸時代の終わりまで続いています。

 

    一ツ橋公、陣屋跡◇

 印南郡では、東志方の9ヶ村、そして加古郡の曽根村・今市村・中嶋村が一ツ橋領となりました。東志方の陣屋(役所)は、細工所に置かれました。

 しかし、現在陣屋の遺構は、何も残っていませんし、詳細はわかりません。

 ただ、細工所公会堂の庭に「細工所陣屋跡」の碑(写真)が、陣屋があったことを物語っているばかりです。



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