毛利軍、別府に襲来(3)
別府村について、『播磨鑑』には、「阿閇庄(あえのしょう)別府村」とあり、『播州名所巡覧図絵』に、「別府、本庄村(現:播磨町)の西の村にて阿閇庄なり」とあります。
別府がもと阿閇庄内(現:播磨町)に属していました。
別府は、その昔、阿閇の一部の村であり、「別府は加古川市・・・・」という我々の思い込みから地名・地域の混乱が生じます。
このことを念頭におき、『播磨灘物語』(司馬遼太郎)を続けます。(一部省略)
◇毛利来る(3)◇
・・・毛利軍は水軍の運用に長じていた。かれらは、はるかな根拠地から水軍でやってきて、意外な場所に船団を着け上陸作戦をやる。
・・・官兵衛は、阿閇の別府城の望楼にのぼって敵の来襲を待っていた。夜は、まだ明けない。
海面は暗いが、敵の動きはわかる。対岸の淡路島の岩屋から、無数の火が押し寄せてくる。
かれらは、夜中に播磨灘を押し切って、夜明けに上陸しようとしているのである。・・・
「敵は八千」という情報がとどいていた。
「敵の目的は何か」と官兵衛は考えていた。
おどしか、本気か、本気なら目的は何か。
敵の作戦家がたてた計画は、こうであるに違いない。
八千で印南野(いなみの)に押しこみ、秀吉の軍を震撼させる。(別府城を落とした後)秀吉の軍が騒いでも目もくれず西方へゆき、空城同然の姫路城をおとす。
秀吉の軍が、驚いて三木城の囲みを解いて姫路へ救援にかけつける。
そこで野外決戦をおこなう。三木城の城兵は、城外突出して秀吉軍の背後をつく。
(考えそうなことだが、戦はそうはうまうまとゆかぬものだ)
官兵衛は、思っている。
敵にとって最初の戸口であるこの別府城がよく防げば、その作戦(毛利軍の作戦)は根底からくずれてしまう。(no4896)
*写真:にごり酒「官兵衛」(姫路の名城酒造から販売されており、ラベルに別府城戦いの説明があります)