ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

大河・かこがわ(180) 播磨地方と赤松氏(1)・中道山子城

2020-02-28 10:02:51 | 大河・かこがわ

 東播磨の中世史は赤松氏なしには語ることはできないのですが、かんじんの赤松氏の東播磨にいての活動は、はっきりわかりません。

 語られている少しだけを紹介しましょう。

    赤松氏と中道子山城(1)

 志方の城山は、標高271.6㍍の山で、特に登るのに躊躇するほどの山でもありません。

 東播磨の中世の歴史を語るとき、赤松氏を抜きには語れません。

 中世ここに赤松氏のお城がありました。

 いろいろの書物をあさってみました。

 が、「中道子山城」の名は知られているわりに謎だらけの城です。

     中道子山

 この270㍍の城山の名前本当の名前は「中道子山(ちゅうどうしさん)」です。

 中道子の「子」は「寺(字)」が変化した読み方だといわれています。

 もともと、この城山の頂上の一角に「中道寺」という寺があったようです。

 安楽寺(細工所)の由来に「西暦811年、弘法大師(空海)の孫弟子の真詔上人が詔勅を受け、大日如来像を彫刻し中道子山上(今の城山)に一宇を設立し、真言宗無量寿院と号す」とあり、安楽寺は、無量寿院から始まるとしています。

 安楽寺さんにお叱りを受けそうですが、安楽寺だけでなく、寺伝は一般的に「あやしげな」記述が多いので、数字・固有名詞はここでも若干疑っておきます。

    志方町の大パノラマ

 城山は、東志方の東北部に位置し、南は平野をへだてて飯盛山、高畑の前山に対しています。

 北は札馬(さつま)の谷をへて、大沢、畑の山に伸びています。

 志方城に登ると志方の大パノラマが広がっています。

 戦略上、絶好の位置にあったことが想像されます。(no4887)

 *写真:城山(中道子山城)から南方のパノラマ

 

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