ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

宮崎奕保さんのこと(21) 奕保氏、永平寺の住職(曹洞宗貫主)に

2018-12-13 08:34:04 | 宮崎奕保さんのこと

 

      再び永平寺へ

 札幌にある大寺院、中央寺の住職になって5年の歳月が流れました。この間奕保禅師は雲水の育成に全力を注ぎました。

 昭和56年の夏、宮崎禅師(せんじ)の人生にまた大きな転機が訪れました。

 永平寺で監院(かんいん)を務めていた禅師が亡くなり、宮崎禅師は、その後任を引き受けてほしいと頼まれたのです。

 監院というのは、禅寺において会計や人事、あるいは地方の寺院との連絡や外部との交渉、さらには広報的な事柄にいたるまで、寺の維持運営に関わるすべての責任を負う役柄です。

     奕保氏、永平寺の住職(曹洞宗貫主)に

 続いて、宮崎禅師は副住職に推挙されました。

 宮崎禅師は、副住職になった時、85歳でした。

 一方・永平寺の住職(貫主)である丹羽禅師は・宮崎禅師よりも年下で、81歳でした。

 副住職になって8年半の歳月が流れた平成5年9月7日、丹羽禅師が亡くなられたのです。

 これを受けて宮崎禅師は、七十八世貫首に就任することになりました。

 宮崎禅師、この時93歳でした。

 平成5年11月30日・永平寺の上空には青空が広がり、やわらかな日の光が山内を照らしました。

 その日、78人目の住職の就任を祝う晋山式(しんざんしき)が行われました。(no4578)

  ◇きのう(12/12)の散歩(12.569歩)

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