内藤湖南
以下は、大正時代、京都大学の内藤湖南市の発言です。彼の著作『日本文化史研究』(講談社学術文庫)のなかに読むことができます。
「・・・今日の日本を知るために、日本の歴史を研究するためには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありません。
応仁の乱以後の歴史を知っておればそれでたくさんです。
それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませんが、応仁の乱以後は、われわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っておれば、それで日本の歴史は充分だと言っていいのであります・・・」という一節です。
これはよく知られている発言で、「当時(大正時代〉としてはかなり思い切った発言であったと言ってよい)と思います。
当時、内藤さんのこの発言がどの程度一般の方の間に浸透していたかはわかりませんが、ともあれ、日本の歴史全体を問題にする場合、「応仁の乱以前と以後」とは非常に大きな違いがあること、応仁の乱以前の歴史というのは、当時から考えてみても、まったく外国の歴史と同じような意味しか持たないのだ」
と主張されています。
現在の歴史とのつながりだけを考えるとき、内藤氏の歴史観は間違いがないと考えられます。
私たちは時代をいくつかに区分します。例えば「戦前・戦後」という分け方などはそれです。
それでは、日本の歴史を二つに分けるとしたら、どこで線を引くのでしょうか。内藤氏が言うように、南北朝・応仁の乱前後を歴史の分水嶺にしてよいと思われます。
南北朝・応仁の乱はそれほど社会を大きく変化させました。
その歴史(観)については、「この文観を追え」でも、できるだけ取り上げます。
この大きな歴史の引き金を引いたのは、後醍醐天皇です。
そして、彼のブレーンが文観です。
その文観が加古川出身であるとすると俄然興味がわいています。
これは奇をてらう日本史の話はありません。
最近の歴史学会では、徐々にその研究が進んでいます。(no3403)
*写真:内藤湖南氏(1934年4月)9日撮影
◇きのう(3/20)の散歩(11.195歩)
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