いま、「ひろかずのブログ」では、西井ノ口の写真集を連載していますが、少し気になることがあります。
「井ノ口」の名称のことです。題を「二つの井ノ口」として、写真集の余話としておきます。
二つの井ノ口村
井ノ口村から西井ノ口に改称(明治12年10月)
江戸時代、東神吉町の地には、神吉村・天下原村・升田村・升田新村・砂部村・井ノ口村・井ノ口新村・六本松新村の8か村がありました。
その内、井ノ口村、井口ノ新村、六本松新村は、明治11年7月に合併し井ノ口村となりました。
明治12年10月に、上荘地区に同名の井ノ口村があり混乱を避けるため、井ノ口村を西井ノ口村に改称しました。
東神吉村西井ノ口村誕生(明治22年4月1日)
そして、明治22年4月1日、新しい村制により神吉村、天下原村、升田村、升田新村(明治39年8月、出河原に改称)、砂部村、西井ノ口村が合併して「東神吉村」(地図参照)が誕生しました。
昭和31年9月30日、加古川市と合併し、加古川市東神吉町になり現在に至っています。(no2973)
*地図は、「兵庫県市町村合併史・上」(昭和37年)より