ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(169) 五間道(曽根町)

2015-03-30 07:22:18 |  ・高砂市曽根・北浜町

   鉄道、加古川・宝殿・阿弥陀を走る(明治21年) 

 明治21年に開通した山陽鉄道(現:JR山陽線)は、最初から加古川を通るように計画されていたものではありません。

 当初は、東二見(明石市)・高砂・飾磨(姫路市)・網干(姫路市)の海岸線を通過する予定でした。

 しかし、高砂は、当時海運業を中心に発展した町で、彼らを中心に「鉄道敷設」に反対しました。「鉄道が敷かれると海運が衰える」というのが主な理由です。

 その結果、海岸に予定されていた鉄道は、加古川・宝殿・阿弥陀を走ることになりました。

 そして、大正2年(1913)加古川線・高砂線が開通し、今まで高砂に集まっていた物資が、加古川の町に集まるようになりました。

 鉄道を拒否した高砂の町の衰退は決定的になりました。

    五間道

 南の塩浜に向って発展した曽根村も、明治21年(1888)の山陽鉄道(山陽線)開通とともに、北に活路を求めました。

 明治35年(1902)には阿弥陀駅を曽根駅に改めさせました。

 大正から昭和にかけて県会議員であり医師でもある井内中正は、町内だけですが、道幅が5間(9㍍)という道路(写真)をつくりました。

 当時にしては驚くほど広い道であったのか、「五間道」の名が、今も残っています。(no2746)

 *『高砂の史情(森本勇著)』参照

 *写真:五間道(曽根町内の国道250号線)

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