聖陵山古墳
写真は、野口町長砂(加古川市野口町)の円長寺(昭和40年代の撮影か)です。
この写真の右隅に少し高まった丘が半分写っているが、これが聖陵山古墳(せいりょうざんこふん)です。
もともと、前方後円墳であったのですが、明治7年に前方部を平らにし、寺をここに移したため、現在の墳丘は円墳のようにみえます。
また、寺伝は、天文12年(1544)に、この古墳から鏃(やじり)12本が出土した(今は7本が残っている)ことを伝えています。
この鏃などから判断して、この古墳は4世紀後半の古墳と考えられています。
また地形から、海とのかかわりを持つ豪族の墓と考えられています。ともかく、考古学では注目されている古墳です。
この古墳は、少なくとも2回の破壊を経験していますが、受難はさらにつづきました。
第二次世界大戦の末期、この古墳に横穴が掘られた。加古川飛行場の通信部隊が通信業務をおこなっていたといいます。
なお、「加古川飛行場の飛行機が、この壕にかくされていた」という説があるのですが、これは間違いです。
いくらなんでも、この古墳の内部に飛行機は入りません。