前号では六地蔵のトレビアを紹介しました。
そして、今日も同じ「奥ノ池墓地」の戦没者の墓の紹介です。
もちろん、ここの戦没者の墓は特別なものではありません。
他地域でも事情は同じです。
道端に戦没者の墓碑(写真)が道に沿ってずらりと並んでいます。
後日、「稲美町の戦争」についても取り上げてみたいのですが、今日も雑学(トレビア)の続きです。
戦没者の墓は、なぜ先がとがっているか?
なんとなく「そんなものだ」だと思って眺めておられたのではないでしょうか。
考えてみるとふしぎな形です。
この形状は“神道型”といわれるものです。
三種の神器の一つである「天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)」を模したという説があります。
ですから、丈(たけ)は長く、先がとがっているのです。
戦没者は神として靖国に祀られた
戦没者は、神として靖国神社に祀られました。
神道の墓は「奥都城」もしくは「奥津城」と書いて「おくつき」と言います。
ですから戦没者の墓碑は、神道の代表的な「おくつき」の形である「上が四角スイ」という特徴をどれも持っています。
加古川市内のある神社の神主の方に尋ねてみました。
神道の「おくつき」には先が角錐形のものばかりではなく、いろいろあるそうです。
戦時中は宗教も平等ではありませんでした。
神道は仏教や他の宗旨よりも立場が上でした。
なので、お寺の墓地などに神道形式の戦没者の墓を造ることにお寺も強く反対できなかったようです。