望塚(ぼんづか)は、印南台地が八幡町町野村の手前から城山(じょやま・加古川市神野町)に向かって舌のように伸びた台地上にある。
所在地は、加古川市八幡町上西条字東沢である。
高さ5mほどの円丘の高まりを削ったところ、底の近いところから銅鐸(どうたく・弥生時代の金属器)がみつかった。
銅鐸の発見は、市内ではこの一例のみである。
『加古のながれ』は、「農耕儀礼に用いられた祭器で、春の種まきや秋の収穫といった節目に鳴らして地霊をまねき、豊穣を祈ったり、感謝をささげたのであろう」
また、「上西条では、盆の行事として、8月15日の夜、松明(たいまつ)を手に行列をつくり、ボンドノイニャレノ、マタコンドゴザレー、と鉦の音にあわせ高唱し、この場所で精霊おくりをした。望塚の名もそれに由来する」と説明している。
昨日、望塚へ行ってみた。なかなか、みつからなかった。20年ほど前に一度訪ねたことがあるので、大体の場所はわかったつもりでいた。
見当をつけていた場所から30分ばかり歩いた。見つからなかった。
農作業の人に聞いてみるとそこは大日山(下村)だという。望塚を通り過ごしていた。引き返してみたが見つからない。
ウロウロすることまた30分、やっと発見した。
見つからなかったはずである。塚の近くでブルトーザーがウナリをたてていた。
掘り出した土砂が、望塚近くで壁をつくり、塚を隠したようになっていた。
ここは、小野バイパスと国道2号線を結ぶ東播磨南北道路の予定地であり、計画では、(仮称)第2ランプの場所に当たっている。
このままでは望塚は削られ姿を消してしまうのではないだろうか。工事は急ピッチで進んでいる。
望塚危うし!
*『加古の流れ』(加古川市史編さん室)参照、写真上:望塚