ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

入ヶ池物語(20) 国岡新村との水争い(3)・話し合いで解決を

2015-01-31 08:57:17 |  ・稲美町 入ヶ池物語

   国岡新村との水争い(3)話し合いで解決を

 北山村は、享保7年(1722)の新しい基準の「にらみ石」よりも下の水は北山村のものであり、国岡新村には、すこしも与えることができないと主張しました。

 それに対し、国岡新村は新しい「にらみ石」から「入が池」の元の分切石のところまでは、1尺3寸5分もあり「にらみ石」の位置は納得できないと主張しました。

 国岡新村は、この件について、代官所に現地の検分を行うよう求めました。

 以上が宝暦十三年(1763)の国岡新村側の訴状の内容です。

 この訴訟は何度も話し合われたのですが、双方の意見が合わず、解決は困難をきわめました。

 代官所は「近年は水不足が続き、生活は困難な状況が続いているが、水利問題はよく話し合い解決するように・・・」と命じるばかりでした。

 近隣の西条組野村および大野組の大野新村・六分一村の庄屋が中に入り、問題解決に当たりました。

 そして、水利問題が発生を経て宝暦13年8月ようやく目途がつき、代官所に関係代表者が呼び出され、詰めの話し合いが行われました。

 国岡新村の百姓代・平兵衛が差し出した文書からこのようすをみることにします。

   平兵衛の出した「差上申口上書之事」より

 入が池の水争いの一件について、一昨日19日、国岡新村の者からお呼び出しがあり、解決のための文書(済口証文)を見せていただきました。

 村に持ち帰り、村中で話し合いました。

 文面によると、草谷の新流(大溝用水のこと)を分水していないように読み取れますのですが納得できません。

 国岡新村の主張を取り入れて解決するように取りはかるようお願いします。

 やっと、宝暦十四年(1764)、関係村々との話し合いが成立し調印されました。

残念ながら、その解決内容の書かれた文書が残っていないのではっきりしませんが、国岡新村の意見が認められたようです。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 入ヶ池物語(19) 国岡新... | トップ | 入ヶ池物語(21) 入ヶ池郷 »

コメントを投稿