加古川町(まち)から本町へ
明治22年2月21日、印南郡に属していた加古川町(まち)が地理的な関係から加古郡に編入され、同年4月1日、加古川町・寺家町・篠原村が合併して、新しく加古郡加古川町(ちょう)が誕生しました。
そして、昭和26年1月1日に加古川町(まち)は、「本町」と改称しました。
少し、付け加えです。
まず、備後村の件です。備後村は鳩里村誕生以前の明治11年、北備後と南備後に分離し独立した村になりました。
そして、西河原は明治10年に加古川町(まち)から分離し、鳩里村に編入され独立しました。分離の理由は分かりません。
鳩里村は、昭和4年に、氷丘村は昭和12年に、それぞれ加古川町と合併し、現在の加古川町の原形ができました。
なお、鳩里村の名称は、鶴林寺(加古川市加古川町北在家)が「班鳩寺(はんきゅうじ)」とも呼ばれたことから、その「鳩」の一字をもって村名にしています。(no5082)
*地図:現在の加古川町本町