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ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町本町探検(3) 加古川町(まち)から本町へ

2021-02-02 08:43:41 | 加古川町本町探検 

      加古川町(まち)から本町へ

 明治22年2月21日、印南郡に属していた加古川町(まち)が地理的な関係から加古郡に編入され、同年4月1日、加古川町・寺家町・篠原村が合併して、新しく加古郡加古川町(ちょう)が誕生しました。

 そして、昭和26年1月1日に加古川町(まち)は、「本町」と改称しました。

 少し、付け加えです。

 まず、備後村の件です。備後村は鳩里村誕生以前の明治11年、北備後と南備後に分離し独立した村になりました。

 そして、西河原は明治10年に加古川町(まち)から分離し、鳩里村に編入され独立しました。分離の理由は分かりません。

 鳩里村は、昭和4年に、氷丘村は昭和12年に、それぞれ加古川町と合併し、現在の加古川町の原形ができました。

 なお、鳩里村の名称は、鶴林寺(加古川市加古川町北在家)が「班鳩寺(はんきゅうじ)」とも呼ばれたことから、その「鳩」の一字をもって村名にしています。(no5082) 

 *地図:現在の加古川町本町 

 

  

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加古川町本町探検(2) 加古川村(現加古川町本町)、元印南郡の村

2021-02-01 10:23:02 | 加古川町本町探検 

  加古川町本町探検(2)

   加古川村(現加古川町本町)、元印南郡の村

 地図は。「元禄播磨絵図(部分)解読図」の一部です。

 地図の加古川村(現:本町)・木村・友沢村・稲屋村とその他の村との群の境を示す境界線があります。

 左側(西)は印南郡(いんなみぐん)、右側()は加古郡です。

 その昔、郡境が決められた奈良時代、ここを加古川が流れ、両郡の境になったのでしょう。なにせ、加古川は暴れ川でした。幾度となく大洪水をおこし流路を変えています。

 流路が現在のように定まってからも、加古川村・木村・友沢村・稲屋村は、印南郡のまま残されました。

 しかし、これらの村々は印南郡に属しているとは言うものの地理的な関係から、加古川東岸の村々との結びつきを強めていきました。

 明治22年4月1日、新しく町村合併が行われ、加古川村、鳩里村(友沢村・木村・稲屋村を含む)、氷丘村が誕生しましたが、その時、加古川村・友沢・木村・稲屋村は加古郡に編入されました。

 そして、昭和4年に鳩里村(きゅうりむら)が、昭和12年に氷丘村がそれぞれ加古川村と合併し、現在の加古川町が誕生しました。(no5081



 

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加古川町本町探検(1) 「ひろかずのブログ」再スタート

2021-01-31 08:54:19 | 加古川町本町探検 

  加古川町本町探検(1)

    「ひろかずのブログ」再スタート

  今日は、お詫びとお知らせです。

  「ひろかずのブログは終了します」と宣言したのは「5037号」でした、その後は「新ひろかずのブログ」として書いてきましたが内容・形式共に変わり映はありません。

  読んでいただいている人にとって、混乱だけでした。

  そのため、元の「ひろかずのブログ」の続きとして書いてみます。

  最後の「ひろかずブログ」以後、このブログを含めて43号を発行しています。

  そのため、元の最後の発行回数(no5037)に43号を加えた、5080号として再出発します。

  内容は、加古川市の各町ではなく、もう少し狭い範囲の探検をしようと思います。

  まず、旧加古川村(現本町)編から始めます。その次は、寺家町の散歩を予定しています。

  その後、高砂市・稲美町・播磨町の各町の探検に出かけます。 

  *「加古川大改修」は、中途半端な紹介になっています。詳細が分かり次第その都度掲載することにします。(no5080

 

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