清水村の西脇から長慶村へかけての一帯は、法華山谷川とその支流の合流点で、常に湖沼のような湿地帯が多かったという。
西脇の「かもめ池」(写真)は、その湿地帯の真ん中にある。
「かもめ池」から周囲を見渡せば、山や台地に囲まれており、このあたりが地形の底であることが分かる。
昔から、法華山谷川があふれたり、長雨が続いた時には、溢れた水はこの辺りに押し寄せ、まさに湖沼のような風景をつくった。
『私たちのふる里』(加古川市立西神吉小学校PTA)は、次のように書いている。
・・・長慶は土地が低いので、度々洪水にあい、そのため度々飢饉になりました。洪水の時は、西村の人が牛を預かってくれたり、他の村からも“おむすび”を持って来てくれました。
飢饉に備えて米を貯蔵しておき、飢饉の時はそれを炊いて食べました。
・・・田の水は法華山谷川から引いていましたが、(今と違って)川幅が狭く・・・少しの雨でもすぐ洪水になりました・・・
西神吉は、洪水等で困った地域と水が少ない台地上の地域からなっていた。
昨日「かもめ池」へ行ってみた。池は写真のように全体が草で覆われ湿地帯のような風景をつくっている。
人間の侵入に驚いたのであろう、二羽の白鷺が、大きな羽音を立てて飛びたった。
*『私たちのふる里』(加古川市西神吉小学校PTA)参照