今年は『古事記』編纂1300年とかで、奈良県や島根県、宮崎県などゆかりのある地域で各種のイベントが催されています。
この日本最古の歴史書には樹木の記載がありますが、「最初に登場する木は何だろう?」と思って調べたら、クスノキでした。
イザナギとイザナミがオノゴロ島で楠船神、つまりクスノキの船を生み出したという記述があります。本邦初記録の樹木はクスノキでした。ただし、日本の樹木に関しては中国の『魏志倭人伝』(約1700年前の編纂)に記録があるので、「わが国の書物では」という条件付です。
『古事記』の8年後に完成した『日本書紀』にも、スサノオが「クスノキを船に使え」と指示する記述があるので、古代の船材はクスノキだったのでしょう。
クスノキの幹
『古事記』にはクスノキのほかにもいくつかの木が登場しますが、面白いのは弓。
天孫降臨の際に「はじ弓」を持っていたという記述があります。「はじ」は「はぜ」、つまりハゼノキやヤマハゼなどウルシ科の木でしょう。弓の材料には、マユミ、アズサ(ミズメ)などいろいろな木が使われていたようですが、ハゼも使われていたわけです。
私が面白いと思ったのは、現在の和弓にもハゼノキが使われているから。ハゼノキの細い板を2枚の竹でサンドイッチして弓を作るそうです。
ヤマハゼの幹
『日本書記』には、日本の樹木の発祥について興味深いことが書いてあります。
スサノオの子であるイタケルがたくさんの樹木の種を持って天から降りた後、最初は韓地(からくに=朝鮮半島)で種を撒くつもりだったが、「この地はふさわしくない」と思って大八洲(おおやしま=日本)に持って行き、筑紫から撒き始めて国土を青山にした…。
このイタケルが木の神様として鎮座したのが「木の国」(=紀伊国)。4年前、この神様を祭る神社まで「木祭り」を見にいって、記事にしたことがあります。
そう言えば今日は「木の日」でした。十と八を合わせると「木」になるので。
この日本最古の歴史書には樹木の記載がありますが、「最初に登場する木は何だろう?」と思って調べたら、クスノキでした。
イザナギとイザナミがオノゴロ島で楠船神、つまりクスノキの船を生み出したという記述があります。本邦初記録の樹木はクスノキでした。ただし、日本の樹木に関しては中国の『魏志倭人伝』(約1700年前の編纂)に記録があるので、「わが国の書物では」という条件付です。
『古事記』の8年後に完成した『日本書紀』にも、スサノオが「クスノキを船に使え」と指示する記述があるので、古代の船材はクスノキだったのでしょう。
クスノキの幹
『古事記』にはクスノキのほかにもいくつかの木が登場しますが、面白いのは弓。
天孫降臨の際に「はじ弓」を持っていたという記述があります。「はじ」は「はぜ」、つまりハゼノキやヤマハゼなどウルシ科の木でしょう。弓の材料には、マユミ、アズサ(ミズメ)などいろいろな木が使われていたようですが、ハゼも使われていたわけです。
私が面白いと思ったのは、現在の和弓にもハゼノキが使われているから。ハゼノキの細い板を2枚の竹でサンドイッチして弓を作るそうです。
ヤマハゼの幹
『日本書記』には、日本の樹木の発祥について興味深いことが書いてあります。
スサノオの子であるイタケルがたくさんの樹木の種を持って天から降りた後、最初は韓地(からくに=朝鮮半島)で種を撒くつもりだったが、「この地はふさわしくない」と思って大八洲(おおやしま=日本)に持って行き、筑紫から撒き始めて国土を青山にした…。
このイタケルが木の神様として鎮座したのが「木の国」(=紀伊国)。4年前、この神様を祭る神社まで「木祭り」を見にいって、記事にしたことがあります。
そう言えば今日は「木の日」でした。十と八を合わせると「木」になるので。
楠が社寺林に多いのもそのあたりが原因ですか ?
しかし楠といいハゼといい薬効があったりちょっと怖かったりする木が利用されたんですね、
学者も「自生のクスノキを見たことがない」と言ってます。社寺林や街路樹ではよく見かけますけどね。
ヤマハゼはどこにでも生えています。撮影したヤマハゼもいつもの散歩コースです。
「紀伊國」はやはり木と関係があったのですね。
特に根拠はないのですが、熊野などの本を読んだり写真を見ると、木にイメージがすぐつながっていました。
紀伊國屋が本を売るのも当然ですね(笑)。
日本の樹木の発祥についての『日本書紀』の話は、今の社会情勢を鑑みると興味深いですね・・・
『日本書記』の記述は、日本の森林率の高さ(68%)を意味しているのかなと思いましたが、調べてみると韓国の森林率(63%)も世界第5位でした。
昔の書物には考古学的なおもしろさがありますね。