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樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

木の駅

2008年11月07日 | 木と乗物
社会人になってこれまでに4回引っ越しましたが、ほとんど京阪電車の沿線で、もう30年以上利用しています。
関西の主な私鉄の阪神、阪急、近鉄、南海はプロ球団を保有していたので全国的にも認知されていますが、京阪はほとんどご存知ないでしょう。百貨店事業に乗り出したのも20年ほど前。地味というか、堅実というか、私は「真面目な電鉄会社」と思っていますが…。
その京阪に先日新しい路線が誕生しました。大阪の「天満橋」から「中之島」まで新駅4つ分。国際会議場や国立国際美術館、大阪市立科学館などが建ち並ぶ、言わば副都心の地下を走ります。その駅に木を多用しているというので、仕事の打ち合わせ前に見てきました。

       
                  (ホームの壁面が木)

終点の「中之島」駅に着くと、ホームから見える壁面は全面木で覆われています。改札階に上がると、コンコースの天井や壁面も木。「もしかしてトイレも?」と思って入りましたが、ここには木は使ってありませんでした(笑)。

       
                (コンコースの壁も天井も木製)

打ち合わせ先の最寄り駅「渡辺橋」へ戻ると、ここもホームの壁面が木。階段の壁面や駅ビルの通路の壁面も木の建材。地上に出ると、出入口やエレベーター乗り口の建屋も木製。鼻を近づけると、プーンと木の香りがします。

       
                  (階段の壁面も木製)
       
                (地上の出入口の建屋も木製)

全国的には無名ですが、折り返し駅で2人掛けシートの背もたれが自動で反転して進行方向を向く車両や、混雑時にはベンチシートが天井に上がって開閉ドアが増えるユニークな車両も開発しています。私は昔から緑色のツートンカラーの電車が気に入っています。この木の駅を見て、ますます京阪電車ファンになりました。
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木造列車

2008年09月29日 | 木と乗物
私の故郷には加悦(かや)鉄道という超ローカル線が走っていました。全長5.7kmしかなく、駅も7つ。大正15年に開業し、昭和60年に廃線となりました。
小さい頃はこれに乗って国鉄の連絡駅で乗り換え、舞鶴や京都へ出かけました。今は鉄道跡がサイクリングロードに変わって面影はないですが、往時の機関車や客車を集めた「加悦SL広場」というミニテーマパークが開設され、全国から鉄道マニアが訪れています。

       
         (日本で2番目に古いSL。英国スチーブンソン社製)

私は鉄チャンではないので、実家の近くにありながら行ったことはなかったのですが、木造の客車が展示されているというので、帰省した折に見てきました。
新幹線にしても在来線にしても、現在の列車は外装も内装も金属ですが、ひと昔前は内装には木が使われていました。私の記憶では、少なくとも背もたれと肘掛は木製でした。
ところが、このSL広場には外装まで木製の客車が展示してあります。その一つが、ハブ3形。1889年にドイツで製造された木造客車で、大阪万博にも出展されたそうです。
この頃の客車は、車で言うところのシャーシー以外は基本的に木造なんですね。鉄チャンたちは特に「マッチ箱」と呼んでいるようです。

       
      (外装も木造のハブ3形。ボロボロだったものを2004年に修復)

ケヤキを使った日本製の客車も展示されていて、100年ほど前は良材が豊富だったことを想像させます。これらの木造客車は内部ももちろん木製。床、天井、窓枠、ドア、荷物棚にいたるまで木が使われ、ニスの光沢で落ち着いた雰囲気になっています。

       
        (ハ10形の内装。今の金属車両より温もりがあります)

私自身はこうした木造客車やSLに乗った記憶はなく、覚えているのは鉄製のディーゼル車。いずれにしてもレトロ感覚たっぷりの列車です。そう言えば、明治・大正ものの映画製作のために撮影隊がよく来ていましたっけ。
鉄チャン&鉄子サンは加悦SL広場のサイトへどうぞ。
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舟の木

2008年06月11日 | 木と乗物
前回、縄文時代の丸木舟をご紹介しましたが、大阪の民俗学博物館にも復元された丸木舟が展示してあります。
アイヌ民族のもので、樹種はカツラ。北海道にたくさん自生する樹ですから、舟や家具などに多用されたでしょう。カツラ材は赤いので見た目には重そうですが、比重は0.5ですから浮力はあります。ちなみに、前回のスギの比重は0.4。

       
        (民博のアイヌコーナーに展示されているカツラの丸木舟)

丸木舟の場合、比重が軽いことも条件ですが、完成後すぐに進水できるように川や海や湖の近くで入手できる樹木という条件があります。前回のスギも今回のカツラも、基本的にはその条件を満たします。
今年の3月、沖縄に鳥を見に行った際、ある道の駅に郷土資料館が併設されていて、そこにも舟が展示してありました。丸木舟ではないですが、樹種はマツのようです。多分、沖縄固有種のリュウキュウマツでしょう。

       
        (沖縄の道の駅に展示されていた舟。船尾側から撮影)

マツもなんとなく重いイメージがありますが、比重は0.55。一般的に針葉樹よりも広葉樹の方が硬くて重く、例えばケヤキは0.7 、カシ類は0.9。それらに比べるとかなり軽いので、マツも舟には向いています。また、沖縄では海の近くにマツが自生しているので、すぐに進水できたのでしょう。
現在は公園のボートも樹脂製ですから、木の舟に乗る機会はほとんどないですね。
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縄文時代の舟

2008年06月09日 | 木と乗物
『日本書紀』には、スサノオノミコトが自分の髭や眉毛からスギ、ヒノキ、クスノキ、コウヤマキを作り、「スギとクスノキは舟に使え」と教えた話が残っています。
ある調査によると、日本で発掘された丸木舟180点を樹種別に分けると、最も多いのはスギで48点、次がクスノキで15点。『日本書紀』の記述を裏付ける結果になっています。ちなみに、それ以外にマツ、モミ、トチノキ、コナラなど29種類の木が使われているそうです。
そのスギの丸木舟の一つが京都府北部の舞鶴市の資料館に展示されているというので、帰省の際に寄り道して見てきました。

       
   (舞鶴はレンガの倉庫が多く、その一つを資料館として利用しています)

平成10年、舞鶴市の浦入(うらにゅう)遺跡からスギの丸木舟が発掘されました。出土したのは船尾部分ですが、約5300年前(縄文時代前期)のもので、推定される全長は8メートル。

             
       (丸木舟の残存部分は、長さ4.6m、幅85cm、深さ60cm)

舞鶴市が偉いのは、これをモデルに当時の丸木舟を復元したこと。しかも、市民中心のプロジェクトを立ち上げ、石の斧や木のくさびなど縄文時代と同じ道具を作るところからスタートし、直径1メートルのスギを半割りして、当時と同じ手法で復元したのです。19ヶ月かかったそうです。

       
              (平成19年3月に完成した復元丸木舟)
       
               (実際に浮かべて乗船したようです)

周辺からは杭や碇石が出土しているところから桟橋があったらしく、大きさや出土地点から外海を航行する舟ではないかと推測されています。歴史のロマンを感じますね~。
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いちご電車

2008年04月11日 | 木と乗物
前回ご紹介した伊太祁曽(いたきそ)神社には、木に関するいろんなモニュメントがありました。下の写真は、拝殿に置いてある木の股くぐり。
大国主命(おおくにぬしのみこと)がライバルの神様に追われたとき、この木の股をくぐって難を逃れたという神話から、厄除けの信仰が生まれたそうです。股というよりも洞ですが、この日もお年寄や子供たちがくぐっていました。樹種はスギのようです。

             

この神社を訪れるために乗った貴志川線は、和歌山から貴志までわずか14駅しかないローカル電車ですが、関西ではいろいろ話題になっています。まず、終点の貴志駅の駅長は猫のタマ。今ではすっかり有名になり、この日も「駅長のタマを見に行く」というお孫さんとおじいちゃんが私の右隣に座っていました。
猫の駅長の由来がまたおもしろい。「先日貴志駅で、三毛猫さんと目が合って、何か手伝うかと声掛けしましたら、何でも手伝うというので、いずれ三毛猫の駅長さんが登場すると思います」(開業時の社長のコメント。HPより)。

       

また、沿線がいちごの産地であることから「いちご電車」を走らせています。車体もシートもいちご柄ですが、私は別の意味で気に入りました。まず床が木製。車内には木のベンチやキャビネットが設けてあり、吊り輪も日除けも木製です。

       
        (木のベンチの向かいには木のキャビネットもあります)

これについても社長が説明しています。「和歌山県、和歌山市は紀州、すなわち木の国ですから、床材を楢の木のむく材を使用するなど、つり革、ベンチシートや家具など、およそ今まであまり木を使わなかったところまで、ふんだんに木を使って、思い切ったリニューアルをすすめ、木の神様の国にふさわしい趣向にいたしました」。私のような木のファンには、とてもうれしい配慮です。

       
        (吊り輪は合板製、日除けも木製品。シートはいちご柄)

左隣のおばあちゃんが「いつもはこんな大勢乗っとらへん、1両に3人か4人や」と教えてくれました。のどかな田園風景の中をウッディな電車に揺られ、両隣のお年寄とお話しながらほのぼのとした時間が過ごせました。
貴志川線のサイトはこちら
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元寇の船

2007年11月21日 | 木と乗物
京都大学で「木」をテーマにした公開講座があったので聴講してきました。今回は宇治キャンパスではなく、京都市内の本校。伊東隆夫名誉教授による「木と文化財」という講座です。
この先生は先日ご紹介した平城京の遺跡や古寺に使われた木材を鑑定した人で、日本だけでなく中国の文化財も調査されています。私が特に興味を持ったのは船の木材。
ジンギスカンは1274年と1281年の2回、日本を攻めました。この元寇に使われた船が中国に遺っていて、先生がその木材を鑑定されたそうです。
材として多かったのは、マツ、ニレ、クスノキ。マツとニレは属名までしか鑑定できていません。クスノキは、『日本書記』でもスサノオノミコトが船に使うように指示しており、日中で共通しています。このほか、水に強いチーク材も使われていました。

       
         (丹後郷土歴史博物館に展示してある和船の模型)

びっくりしたのは船の数。最初(文永の役)は900隻(兵士4万人)でしたが、2回目(弘安の役)は4,400隻(兵士14万人)もの船が襲来。このうち、いわゆる神風によって3,000隻(兵士10万人)が海に沈んだといいます。大小さまざまな船があり、最も大きな船は長さ40m。
今年の夏に帰省した際、丹後郷土歴史博物館を訪れましたが、そこに和船の模型が展示してありました。いわゆる千石船で、実際の長さは約28m。
日本の船にもさまざまな木が使われていますが、竜骨にはカシやケヤキ、帆柱にはヒノキ、船体にはスギというのが一般的なようです。
公開講座では、船のほかいろいろな木の文化財について勉強できました。有名大学の立派なホールで、名誉教授の講義が無料で聴ける…。公開講座は「貧乏の木好き」にはありがたい制度です。
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木の自動車

2007年10月10日 | 木と乗物
先日、テレビで木製スーパーカーを紹介していました。岡山県の家具メーカーが製作したもので、ボディはタモ、内装はヒノキ、床はモミ。175ccのエンジンを積み、最高速度は80km、3人乗りです。こちらで動画が見られます。
木と乗物というテーマでこれまで祇園祭の鉾や木製飛行機を紹介した私ですが、この木製スーパーカーには度肝を抜かれました。実際にナンバーを取得し、高速道路も走れるところがスゴイ!

          
 (本論とは無縁ですが、京大宇治キャンパスに展示されていた木の自転車)

ところが、もっとびっくりすることがありました。先週、近くの京大宇治キャンパスで行われたバイオマスのセミナーに出席した際、ある教授の講演でこんなことを聞きました。
樹木など植物を構成しているナノファイバーを使えば、自動車のボディがつくれるというのです。しかも、机上の空論ではなく、すでに産学協同のプロジェクトが始まっているとのこと。
金属やプラスチックはもちろん、ガラスやゴムに代わる素材も可能で、車のボディから内装、窓、タイヤにいたるまでナノファイバーでつくれるそうです。石油や金属など地下資源ではなく、間伐材やトウモロコシの芯など未利用の植物資源から、自動車はもちろん家電製品や建材もつくれるのです。
ナノファイバー製の樹脂サンプルも見せてもらいました。暗い会場で撮影したので不鮮明ですが、固くて白いタイルのようでした。軽いのに鉄鋼並みの強度があるそうです。

      

近い将来、植物由来の素材でつくった車が、植物由来のバイオ燃料で走るという時代が来るかも知れません。
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木と飛行機

2007年09月19日 | 木と乗物
那覇空港で中華航空機が炎上した事故がまだ記憶に新しいですが、あの737を製造したボーイング社はもともと材木会社です。社長のウィリアム・ボーイングがシアトルで飛行機を見て魅了され、航空機事業に乗り出したのが始まり。当時の飛行機は木製だったからです。
1916年、初めて完成したのは複葉の水上機でした。その後、第一次大戦の軍需によって大きく成長したものの、戦後は需要が激減して大リストラ。その間は家具やモーターボートの製造で何とか乗り切ったそうです。
第二次大戦当時の飛行機は金属製が主流ですが、イギリスでは木製の爆撃機(モスキート)が生産されました。そのメーカー、デハビランド社もボーイング社と同じく材木会社。木の性質を熟知していたため、完成した飛行機は優秀で、最高速度は630km。日本のゼロ戦が518km、アメリカのB29が576kmですから、はるかに上回ります。

       
       (木製飛行機に使われたバルサ。京大木材研究室で撮影)

機体は、スプルース(マツの仲間)の細い材の上にカバの合板やバルサ(世界一軽い木材)の合板を貼り合わせて作られました。速いだけでなく、製造が簡単で生産効率がいい、飛行中に機体に穴が空いてもそのまま接着剤で補修できるという長所がありました。
逆に、初期の機体はエンジンの過熱で燃えたとか、東南アジアに配備したら高温多湿のために腐ったという欠点もあったようです。カナダやオーストラリアでのライセンス生産も含めて8,000機近く生産されたとか。
日本でも木製の軍用機が製造されました。金属不足という理由よりも、敵のレーダーに捕捉されず奇襲できるから。こちらは実戦に配備される前に終戦を迎えました。

       
     (ラジコンの模型飛行機もバルサの骨組みにフィルムを貼っています)

ところで、世界最大の飛行機も実は木製です。大富豪ハワード・ヒューズが第二次大戦中に米軍用輸送機として製作した飛行艇で、愛称は「スプルース・グース(スプルース製の雁)」。正確に言うと、世界最大の翼を持つ飛行機。
世界最大の旅客機・エアバスA380は、全長73m、翼長79.8m。スプルース・グースは全長67m でエアバスに及びませんが、97.5mの翼長ははるかに凌ぎます。しかし、1機製造されただけで終戦となり、1回飛んだだけ。現在は、エバーグリーン航空博物館に保存展示されています。
木と飛行機の関係、意外でしょう?
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長刀鉾の秘密

2007年07月16日 | 木と乗物
京都はいま祇園祭一色。先日市内を歩いたら、街はもちろん電車の駅にも「祇園囃子」が流れていました。今夜は宵山、明日はいよいよ鉾の巡行です。
でも、私が興味を覚えるのは巡行ではなく、鉾がどんな木で作られているか? 長刀鉾の前を通っても、人は豪華な胴掛けを見ていますが、私は車輪や土台の木を眺めていました。

      
             (長刀鉾の車輪は直径1.9m)

平安時代の法律(というかマニュアル)『延喜式』では牛車の車輪の材質を決めていて、車軸を通す中央部(ハブ)はケヤキ、スポークはカシ、外側の輪はクヌギとなっているそうです。ところが、祇園祭の鉾は、牛車に比べて重いこと、辻回しなど過酷な使い方をすることから、外側の輪にも強度の高いカシを使っています。
ただし、現在は合板だそうです。昭和50年頃、鉾の修理費用の高騰に悩んだ保存会が、木の学者に相談したところ、それまでは高価な1枚板で作っていたものを、強度が高くコストは安い合板にするよう勧められたそうです。
外観からは全く分かりませんが、上の写真の中央部(ハブ)はケヤキの板43枚、スポークはアカガシ6枚、外側の車輪も同じくアカガシ11枚が貼り合わせて作ってあるそうです。
木材調達の難しさは、こうした伝統的な祭りの構造物にも影響を及ぼすんですね。

      
           (トルコの牛車の車輪)

ついでにご紹介しますが、以前見学した大阪の民俗学博物館にトルコの牛車(農業用)が展示してあって、その車輪はクルミ材ということでした。こちらはスポークのない円盤型です。
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