42歳の大厄を迎えた頃、「どこかで厄除けしてきなさい」と母からお金(確か5,000円)を渡されました。今以上に不信心だった私は生返事をしたまま厄除けには行かず、そのお金を別の目的に使ってしまいました(親不幸者!)。
京都近辺で有名な厄除けは滋賀県の立木観音。宇治から琵琶湖に抜ける山道沿いにあり、秋のタカの渡りや冬のカモを見に行く際に前を通るので、その度に昔の親不孝を思い出していました。その自責の念を解消するためとブログの取材のために、先月約20年ぶりに母の言いつけを実行してきました(遅すぎっ!)。

(立木観音の本堂)
700段もある石段をハーハー言いながら、何度も休んで登りました。こんなに急で長い石段は初めて。翌日から3日間ほど足の筋肉痛が続きました。20年前に素直に参っておけばもっと楽に登れたのでしょうが、親不孝の報いですね。
弘法大師がこの地を通った際、対岸に光る木を発見したものの流れが急で渡りあぐねていると、白い鹿が現れて背中に乗せ、その木まで導いて観音菩薩に変身したそうです。この奇跡に感じ入った弘法大師が、その霊木に観音像を刻んで建立したのがこのお寺。弘法大師42歳のときだったとか。

(鹿の背に乗った弘法大師の銅像)
私は以前からその霊木がどんな木で、立木に彫った観音像がどんなものか知りたいと思っていました。樹種がアカマツということは突きとめましたが、観音像は腐食を防ぐために根元から切り取って本堂に安置され、秘仏として一切開帳されないそうです。
一般的にマツは彫刻には不向きとされていて、仏像に使われることはほとんどありません。私が読んだ資料には「立木観音の制作年代は鎌倉時代」とありましたから、弘法大師が活躍した平安時代とは合致しませんが、やはり何かの因縁があってアカマツの立木に観音像が彫られたのでしょう。

(護符や御守の納所。なぜか、焼けた丸太の木組み)
息も絶え絶えに頂上まで登った後、特別な厄除け祈願は頼みませんでしたが、護摩木(500円)を供え、ローソク(1本100円)も供え、お賽銭(500円)も投げ入れ、丁寧に心を込めてお祈りしてきました。これで、親不孝の負い目はなくなるかな?
京都近辺で有名な厄除けは滋賀県の立木観音。宇治から琵琶湖に抜ける山道沿いにあり、秋のタカの渡りや冬のカモを見に行く際に前を通るので、その度に昔の親不孝を思い出していました。その自責の念を解消するためとブログの取材のために、先月約20年ぶりに母の言いつけを実行してきました(遅すぎっ!)。

(立木観音の本堂)
700段もある石段をハーハー言いながら、何度も休んで登りました。こんなに急で長い石段は初めて。翌日から3日間ほど足の筋肉痛が続きました。20年前に素直に参っておけばもっと楽に登れたのでしょうが、親不孝の報いですね。
弘法大師がこの地を通った際、対岸に光る木を発見したものの流れが急で渡りあぐねていると、白い鹿が現れて背中に乗せ、その木まで導いて観音菩薩に変身したそうです。この奇跡に感じ入った弘法大師が、その霊木に観音像を刻んで建立したのがこのお寺。弘法大師42歳のときだったとか。

(鹿の背に乗った弘法大師の銅像)
私は以前からその霊木がどんな木で、立木に彫った観音像がどんなものか知りたいと思っていました。樹種がアカマツということは突きとめましたが、観音像は腐食を防ぐために根元から切り取って本堂に安置され、秘仏として一切開帳されないそうです。
一般的にマツは彫刻には不向きとされていて、仏像に使われることはほとんどありません。私が読んだ資料には「立木観音の制作年代は鎌倉時代」とありましたから、弘法大師が活躍した平安時代とは合致しませんが、やはり何かの因縁があってアカマツの立木に観音像が彫られたのでしょう。

(護符や御守の納所。なぜか、焼けた丸太の木組み)
息も絶え絶えに頂上まで登った後、特別な厄除け祈願は頼みませんでしたが、護摩木(500円)を供え、ローソク(1本100円)も供え、お賽銭(500円)も投げ入れ、丁寧に心を込めてお祈りしてきました。これで、親不孝の負い目はなくなるかな?