ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

編集者の匙加減

2011-05-12 03:49:54 | 脳みその日常
有能な編集者のもとでなら仕事も捗りますし、納得のいく仕事ができるというもの。ところが、そうでない人が担当になるとホント疲れるばかり。

少し前に、面識のないある編集者から原稿の依頼がありました。「特に条件はないので、ご自由にお書きください」とのこと。ならばと、いつもの調子で心のおもむくままに「それなりの指摘」付きの原稿を書きました。

それなりのと書きましたが、実はそこが最も重要なポイントなのでした。ちょっとオーバーに言えば、それを記すことでかなり啓蒙的な意味があるはずだったのです。

しかし、その編集者は原稿を読むなり、そのポイントの箇所に触れて「ちょっとここは削除させていただきたいのですが…」と。その理由をたずねると、「弊社の雑誌は全国誌でもあり、さまざまな点である程度の影響力があると思われますので…」ときた。

いや、そんなことは先刻承知ですとも。だからこそ必要と思われることを書いたんじゃないですか。むしろ今まで誰も指摘していないことだから書く意味があるわけで…。全国誌であればよけいに啓蒙する意味でもいいんじゃないですか? そう説得しました。

でも、その担当者は納得せず。で、これ以上の議論は無駄と判断し、当該部分を削除することで決着と相成りました。だから実際に日の目を見た文章は当たり障りのないつまらないものとなっています。

多少話が飛躍しますが、世の中の不景気とともに出版業界も苦境を強いられています。それには様々な要因があるでしょう。しかし現場レベルでこのようなやり取りが行なわれていることだけをみても、出版物が売れない理由がわかるような気がするのです。

内容の面白さは同時にリスクをも伴うものかもしれません。だから出版元とすればリスクを避け、保身に走るのも理解できます。でも気骨ある内容を骨抜きにして、そんな「ぬるい文章」ばかりを羅列したところで読者はその雑誌に魅きつけられるでしょうか。

ワシは何も私怨をここではらすために書いているんじゃありません。実情がそうだと言いたいだけなのです。

まあ、結局、世に出回る出版物というのはほとんどが編集者のお眼鏡にかなったものなんですよね。編集者に気に入られればOK、だめなら没。没になる理由が正当なものならいいんです。でも、近年ではそうでない傾向にある気がします。あの書き手は(人間的に?)気に入らないからといった理由で原稿依頼をしないこともあるそうです。

なんなんでしょうね。実際に書くのは著者なんでしょうが、結局出版文化の質を決定づけているのは無名の編集者なのですよ。彼らの匙加減で文化の質が決められていく…。もしそうだとすれば、これは由々しき問題じゃないかと思うんですけどねえ。
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