2015/12/04 記
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ビッグイシュー誌の駅周辺読者に配布。市社協に立ち寄って12/21懇話会の話をする。おそらく不参加。しかし、関心無くは無い。勿論,来てくれれば大歓迎。
サポセンで知り合った四肢障がいの**さん、イトーヨーカ堂の前で偶然出会う。風が冷たいので上階のファミレスで話す。ここは、風邪で喉をやられている私のように、声がくぐもっている時でも、客が少なく、まわりが静かだから話ができて、なかなかよい。
懇話会の話をしたが、**さんは乗り気ではない。東日本大震災から5年も経っているというが、どうも言葉面ではなぞれない本心がある気がして、気仙沼の自閉症の息子さんと寝たきりの親御さんの避難話をしたが、逃げられなければ無駄だと彼はいう。
こつりと本音の「あたりがあったように感じ、問いかけると前はマンションの2Fに住んでいたが、3.11があって、平屋の民家に移住したが、車椅子に対して大家の理解がなく、床が痛むので、専用の改装をした物件を捜してくれと立ち退きを迫られているという。隣人とは、その程度だから、自力脱出も考えたが、結局は運だという。やはり…と思った。地域には何の幻想も持っていない。でも被災自衛だけでは無理だろうと問いかけ。被災時地元援助で救助という名簿には載せたという。
この辺が障がい者被災の難しさだと思う。平常時とて親しいご近所さんは遠い1所帯だけという。家族は勤めにでているから避難期待できないとの話。
2月はじめにミニ懇談をやるからと声をかけ、100円ショップの買い物をお互いにして別れた。失敗した、電話番号を聞き忘れたのだ。比較的茅ヶ崎駅前で出会うことがあるから、まあいいかと思いつつ。
うっかり口座を空にして滞納になった国保を支払いに市役所出張所にたちよると、路上生活者支援でおにぎり配達している**さんがいた。つかまえて話そうとしたがエレベータで逃げられてしまった。嫌われているなあ、まいったなと思いつつ、まだ八分が活きているのかと呆れもした。政治屋さんはだから嫌だ。
暗くなってきたので、橋本の対面指導を忘れていないかとスケジュール表をあけてみる。相模大野校を退職してから、表もだいぶ空いてきた。元事務長と組む話も立ち消えだから、一度、頓挫している連載をまず書き上げて、来年度の被災障がい者取材活動を、金儲けにはならないが準備するかと、オンラインひとり旅ターゲットをあれこれ考え始めた。
12月金曜災害ミニ・カフェが決まった。
12/11<衰退する地域コミュニティと対策の柔軟性から>
●クローズアップ現代「町内会が消える?どうする地域のつながり」
●あの日 わたしは「宮城県石巻市・斉藤一夫さん」
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12/18<被災地医療・福祉支援の長期的展望>
●ろーかる熱視線・震災20年 支えあってきたけれど」
●NHKスペシャルシリーズ阪神淡路大震災20年 都市直下型地震20年目の警告」
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)