2009/12/27 記
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今は27日・朝10時、格闘技第二ラウンド終了して、ひと息ついている。5時前に1度助けを呼ぶ声。2度目は朝食中の9時。ポータブルトイレに移る最中、朝食の盆を引っ掛け、全部朝食を床に落としてしまい、それに心動かすゆとりなく、その場で失禁…地獄である。地獄とは睡眠不足の地獄。糞尿地獄と介護幽閉の地獄。気力で切り抜けないと、つぶされてしまう。
昨日、神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の定例会にお邪魔してきた。母の外出帰宅時間との入れ換えのゆとりの無い参加で、ゆとり無さが何も生まない話を聴いてきた。島田啓介さん、平和活動の仏教者ティク・ナット・ハンの翻訳者である。私はディープ・エコロジーとか理念伝道型社会改革運動は嫌いなのだが、今回は島田さんには悪いけれど、来年度の講演会の見通しを立てるために参加したというのが本当のところだ。
ふと我に返る時間、ぼっと我を忘れて過ごす時間、その時間は孤独の時間ではなく限りなく社会と連鎖していく時間であるという「瞑想」から、社会を捉えなおしていく。一貫しているのは、自他の観察と解釈。事象の成り立ちから行動原理を引き出し、その行動原理共感布教から社会変革を引き出していく。宗教的な言い方に翻訳していえば、今、私が常に因果に組み込まれて生きている、その質を還元一元化していくこと。価値観の切り替えによって生きれば、皆の気持ちが変わり世界が変わるという一見正しそうに見える前提の動学を問うべきだろう。私はこの錯視をともにしない。私は生産活動から離れないし、地獄の中に、かつ生きる。
神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の中に、精神障がいの領域から仏教的な社会活動をしている方がいらっしゃることは了解できた。包摂の論理といものは、宗教的世界との親和性があることも、追認できた。なるほど多彩である。面白そうだなと思いつつ、どこでつながれるかという点で、広場に飛び込んだという以上の内容は見えなかった。
私は炭谷茂氏の語る社会的企業「ソーシャル・ファーム」の紹介が心惹かれるのは、他の社会的企業論と異なり、社会的困難者、障がい者の起業に深く関わっているからだ。企画をたてて資本を作りプランを実現するという立て方の前提が実は高い壁を作っている。マイクロクレジット(マイクロファイナンス)の原資の動きのように、自己増殖のリゾーム的な連鎖と、差異を原動力とした発生のあたかもウィルスのような活動を前提とした分散型社会的企業は出来ないものか。ネットワーク論に乗った社会的企業である。
ヨーロッパにあるような「ホテル」立ち上げによる雇用の創出というような出発点に入れ物を準備するような活動は、第三セクターの道からそれを実現している。しかし、ユヌスのグラミン銀行活動ではないが、萌芽活動を促進する道も、萌芽活動があれば有効だろうし、グラミン銀行自身も自主運営が可能。ホテルは小さな共同体であり、そこに様々なひとを組み込んでいくことはできる。しかしホテルがレストランに拡張されたとしても、学校を実現することはないだろう。もっと柔軟な自己組み換えを可能にするような実践は出来ないのだろうか。そのキーワードのひとつに「ソーシャル・ファーム」がある。担い手がはっきりしている社会的企業が必要だと考えている。社会活動が組み込まれた社会的企業と視点である。
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12/27
夜間傾聴:橋本君(仮名)
******君(仮名)
2009/12/28 記
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父の下痢は漢方薬を飲ませて、なんとか抑えた。しかし、頻尿は続いている。朝食を済ませた直後に、濡れた紙パンツの交換を行った。しかしそれから一時間もしないうちに、父は母を大声で呼んだ。母はこの数日間の昼夜を問わぬ排泄戦争に疲れ、胃切除後遺症の嘔吐を早朝から繰り返し、父の声に応じなかった。私とて節々の痛みや、行動中の意識喪失のような不調が続いている。それほどに介護は破壊的である。
父の声に部屋に行ってみると、下半身の下着をぐっしょり濡らした父が立っていた。紙パンツ交換をしてくれという。チェックすると、1時間前に交換した状態で、汚れはなくさらりとしている。
父は「昨日から紙パンツを替えていない」と私に交換を迫った。私が紙パンツ交換を1時間前にしたばかりだといい、パンツ内を触ってみろと言った。父はうろたえて無言になった。その記憶がないからだった。下着への失禁は、立小便の失敗によるもので、その下着を替えて欲しいという事を紙パンツを替えろと言い換えていたのだ。周囲に尿が撒き散らされていた。なぜ紙パンツの中にしてくれないのかと問うが、それが嫌だということもあるが、排泄はトイレにということは「当たり前」という発想を問うことができない。
下着を脱がせると、父はおぼつかない足取りで紙パンツ置き場に向かい始め、危うく転倒するところで、私が支えるという始末だった。紙パンツが乾いているということ自身が自己修正につながらない。私が交換しないなら自分でやるというアピールだった。支えた私を振り払って、父は紙パンツの袋に手を伸ばし、尻餅をついた。私を睨み付けていた。父を説得しベッドに戻して紙パンツの袋を手の届かないところに移動した。
私は午前中海老名の巡回を済ませ、14時からのビッグイシューの駅前受け渡しに向かう予定だった。着替えをしていると父が転倒した。父は紙パンツを履き換え、下着を履こうとしてソファーから落下したのだった。私が父の部屋から出た直後、母が部屋に入り、事情の分からない母が、紙パンツの置き場を直していたのだった。脱ぎ捨てられた紙パンツは、全く濡れていない、便もついていない状態のものだった。とするなら、交換した下着も、乾いているのにまた再度取り替えなおしているという、奇妙な強引さが浮かび上がってきていた。やると決めたらやる。
2階のトイレを破壊したときも、壊れた便器をまた使うために、周囲に大きな物を置き入口のアコーディオンカーテンをガムテープ留めして入れないようにした。それにもかかわらず、父はカーテンをこじ開け、荷物を放り出して排便したのだった。状況の奇異さに気付かない。
認知症の状況把握の困難症状は、あちこちに現れた。父は再び階段上に現れ、降りなければダメだろうと怒鳴り始めた。歩行器も使わずに、左右の壁に手を突きつつ、階段上に現れたのだった。ホームからの迎えが来たと息が荒くなっていた。今日は日曜日でありホームに行く日ではないことを告げ、ひとりで階段上に出てくることが危険であることを諭したが、眼差しがあちこちに移っておちつかない。これは遠出はだめだと判断し、巡回を日送りする連絡を入れた。夜の講習補助(学習相談)も無理と休むことにした。
母と相談し、14時からのビッグイシュー受け渡しと、寒川・平塚の書籍期限切れ図書の返却更新をしてから帰るという2時間半をもらった。寒川からは田村十字路までタクシー、バス時刻表を見通して移動。八幡入口で平塚の中央図書館に出て帰宅した。相模線周りでは間に合わないのだった。出掛けにMさんから、Eさんの住居決定への協力申し入れがあり、中古生活用品の提供話をしてくださった。しかし、Eさんの入居の詳細が分からないため、受け渡しの期限があるために話はご破算になってしまった。
14時、Eさん、Tさんと会った。これで30日、1月2日と会えば、年末年始の販売の混乱は避けられるだろう。しかし、セッティングをEさんの携帯頼みにしたので、Tさんは状況をつかんでいなかった。Tさんは、まだ冊子は不要であるという。150冊の冊子は80冊Eさんに売れただけで、70冊は抱えて図書館周りと買い物をするため、1泊のコインボックス行きとなった。600円が消えた。こういう細かい無駄が、しょっちゅう積み重なっていく。
家に戻ると父が自室の真ん中で、あぐらをかいていた。母は父が倒れたが怪我していないようなのでと放置していたのだった。腹ばいにして自力で立ち上がる方法を伝えながら、椅子を傍らにおいて、父を誘導して起こし、ベッドではなく、ポータブルトイレに誘導、排尿させてからベッドに戻した。間一髪正解だった。膀胱は爆発寸前だったのだ。
家の掃除も手がけられず、洗濯と夕食作りで一日が終わった。このままでは契約解除になってしまう。ふたたび午前2時。父の部屋から父の足を摺る音が聞こえてくる。医師からもらっていた睡眠導入剤投与を決めた。
年賀状を書いている。何とも虚しい。
12/28
夜間傾聴:□□君(仮名)
旗の台君(仮名・正月企画の相談<ちと無理)
地元相談者++さんの親御さん
(求職活動再開は5日からと告げる。)
<入手書籍から>
●「友だち地獄」
●「発達障害が引き起こす二次障害へのケアとサポート」
●「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ」
(校正1回目済み)
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今は27日・朝10時、格闘技第二ラウンド終了して、ひと息ついている。5時前に1度助けを呼ぶ声。2度目は朝食中の9時。ポータブルトイレに移る最中、朝食の盆を引っ掛け、全部朝食を床に落としてしまい、それに心動かすゆとりなく、その場で失禁…地獄である。地獄とは睡眠不足の地獄。糞尿地獄と介護幽閉の地獄。気力で切り抜けないと、つぶされてしまう。
昨日、神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の定例会にお邪魔してきた。母の外出帰宅時間との入れ換えのゆとりの無い参加で、ゆとり無さが何も生まない話を聴いてきた。島田啓介さん、平和活動の仏教者ティク・ナット・ハンの翻訳者である。私はディープ・エコロジーとか理念伝道型社会改革運動は嫌いなのだが、今回は島田さんには悪いけれど、来年度の講演会の見通しを立てるために参加したというのが本当のところだ。
ふと我に返る時間、ぼっと我を忘れて過ごす時間、その時間は孤独の時間ではなく限りなく社会と連鎖していく時間であるという「瞑想」から、社会を捉えなおしていく。一貫しているのは、自他の観察と解釈。事象の成り立ちから行動原理を引き出し、その行動原理共感布教から社会変革を引き出していく。宗教的な言い方に翻訳していえば、今、私が常に因果に組み込まれて生きている、その質を還元一元化していくこと。価値観の切り替えによって生きれば、皆の気持ちが変わり世界が変わるという一見正しそうに見える前提の動学を問うべきだろう。私はこの錯視をともにしない。私は生産活動から離れないし、地獄の中に、かつ生きる。
神奈川ソーシャルインクルージョン推進機構の中に、精神障がいの領域から仏教的な社会活動をしている方がいらっしゃることは了解できた。包摂の論理といものは、宗教的世界との親和性があることも、追認できた。なるほど多彩である。面白そうだなと思いつつ、どこでつながれるかという点で、広場に飛び込んだという以上の内容は見えなかった。
私は炭谷茂氏の語る社会的企業「ソーシャル・ファーム」の紹介が心惹かれるのは、他の社会的企業論と異なり、社会的困難者、障がい者の起業に深く関わっているからだ。企画をたてて資本を作りプランを実現するという立て方の前提が実は高い壁を作っている。マイクロクレジット(マイクロファイナンス)の原資の動きのように、自己増殖のリゾーム的な連鎖と、差異を原動力とした発生のあたかもウィルスのような活動を前提とした分散型社会的企業は出来ないものか。ネットワーク論に乗った社会的企業である。
ヨーロッパにあるような「ホテル」立ち上げによる雇用の創出というような出発点に入れ物を準備するような活動は、第三セクターの道からそれを実現している。しかし、ユヌスのグラミン銀行活動ではないが、萌芽活動を促進する道も、萌芽活動があれば有効だろうし、グラミン銀行自身も自主運営が可能。ホテルは小さな共同体であり、そこに様々なひとを組み込んでいくことはできる。しかしホテルがレストランに拡張されたとしても、学校を実現することはないだろう。もっと柔軟な自己組み換えを可能にするような実践は出来ないのだろうか。そのキーワードのひとつに「ソーシャル・ファーム」がある。担い手がはっきりしている社会的企業が必要だと考えている。社会活動が組み込まれた社会的企業と視点である。
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12/27
夜間傾聴:橋本君(仮名)
******君(仮名)
2009/12/28 記
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父の下痢は漢方薬を飲ませて、なんとか抑えた。しかし、頻尿は続いている。朝食を済ませた直後に、濡れた紙パンツの交換を行った。しかしそれから一時間もしないうちに、父は母を大声で呼んだ。母はこの数日間の昼夜を問わぬ排泄戦争に疲れ、胃切除後遺症の嘔吐を早朝から繰り返し、父の声に応じなかった。私とて節々の痛みや、行動中の意識喪失のような不調が続いている。それほどに介護は破壊的である。
父の声に部屋に行ってみると、下半身の下着をぐっしょり濡らした父が立っていた。紙パンツ交換をしてくれという。チェックすると、1時間前に交換した状態で、汚れはなくさらりとしている。
父は「昨日から紙パンツを替えていない」と私に交換を迫った。私が紙パンツ交換を1時間前にしたばかりだといい、パンツ内を触ってみろと言った。父はうろたえて無言になった。その記憶がないからだった。下着への失禁は、立小便の失敗によるもので、その下着を替えて欲しいという事を紙パンツを替えろと言い換えていたのだ。周囲に尿が撒き散らされていた。なぜ紙パンツの中にしてくれないのかと問うが、それが嫌だということもあるが、排泄はトイレにということは「当たり前」という発想を問うことができない。
下着を脱がせると、父はおぼつかない足取りで紙パンツ置き場に向かい始め、危うく転倒するところで、私が支えるという始末だった。紙パンツが乾いているということ自身が自己修正につながらない。私が交換しないなら自分でやるというアピールだった。支えた私を振り払って、父は紙パンツの袋に手を伸ばし、尻餅をついた。私を睨み付けていた。父を説得しベッドに戻して紙パンツの袋を手の届かないところに移動した。
私は午前中海老名の巡回を済ませ、14時からのビッグイシューの駅前受け渡しに向かう予定だった。着替えをしていると父が転倒した。父は紙パンツを履き換え、下着を履こうとしてソファーから落下したのだった。私が父の部屋から出た直後、母が部屋に入り、事情の分からない母が、紙パンツの置き場を直していたのだった。脱ぎ捨てられた紙パンツは、全く濡れていない、便もついていない状態のものだった。とするなら、交換した下着も、乾いているのにまた再度取り替えなおしているという、奇妙な強引さが浮かび上がってきていた。やると決めたらやる。
2階のトイレを破壊したときも、壊れた便器をまた使うために、周囲に大きな物を置き入口のアコーディオンカーテンをガムテープ留めして入れないようにした。それにもかかわらず、父はカーテンをこじ開け、荷物を放り出して排便したのだった。状況の奇異さに気付かない。
認知症の状況把握の困難症状は、あちこちに現れた。父は再び階段上に現れ、降りなければダメだろうと怒鳴り始めた。歩行器も使わずに、左右の壁に手を突きつつ、階段上に現れたのだった。ホームからの迎えが来たと息が荒くなっていた。今日は日曜日でありホームに行く日ではないことを告げ、ひとりで階段上に出てくることが危険であることを諭したが、眼差しがあちこちに移っておちつかない。これは遠出はだめだと判断し、巡回を日送りする連絡を入れた。夜の講習補助(学習相談)も無理と休むことにした。
母と相談し、14時からのビッグイシュー受け渡しと、寒川・平塚の書籍期限切れ図書の返却更新をしてから帰るという2時間半をもらった。寒川からは田村十字路までタクシー、バス時刻表を見通して移動。八幡入口で平塚の中央図書館に出て帰宅した。相模線周りでは間に合わないのだった。出掛けにMさんから、Eさんの住居決定への協力申し入れがあり、中古生活用品の提供話をしてくださった。しかし、Eさんの入居の詳細が分からないため、受け渡しの期限があるために話はご破算になってしまった。
14時、Eさん、Tさんと会った。これで30日、1月2日と会えば、年末年始の販売の混乱は避けられるだろう。しかし、セッティングをEさんの携帯頼みにしたので、Tさんは状況をつかんでいなかった。Tさんは、まだ冊子は不要であるという。150冊の冊子は80冊Eさんに売れただけで、70冊は抱えて図書館周りと買い物をするため、1泊のコインボックス行きとなった。600円が消えた。こういう細かい無駄が、しょっちゅう積み重なっていく。
家に戻ると父が自室の真ん中で、あぐらをかいていた。母は父が倒れたが怪我していないようなのでと放置していたのだった。腹ばいにして自力で立ち上がる方法を伝えながら、椅子を傍らにおいて、父を誘導して起こし、ベッドではなく、ポータブルトイレに誘導、排尿させてからベッドに戻した。間一髪正解だった。膀胱は爆発寸前だったのだ。
家の掃除も手がけられず、洗濯と夕食作りで一日が終わった。このままでは契約解除になってしまう。ふたたび午前2時。父の部屋から父の足を摺る音が聞こえてくる。医師からもらっていた睡眠導入剤投与を決めた。
年賀状を書いている。何とも虚しい。
12/28
夜間傾聴:□□君(仮名)
旗の台君(仮名・正月企画の相談<ちと無理)
地元相談者++さんの親御さん
(求職活動再開は5日からと告げる。)
<入手書籍から>
●「友だち地獄」
●「発達障害が引き起こす二次障害へのケアとサポート」
●「教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ」
(校正1回目済み)