2015/08/31 記
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(前回の続きから)
NHK総合TVは、「明日へ第44回「宮城県石巻市・避難所と在宅避難者のモノ語り」」を放送した。石巻では6万人が在宅避難生活をしており、市の市の人口の4割となること、避難所生活者と在宅避難生活者との間には、情報不足による物資提供や諸サービスの待遇較差が問題化していると、実態を報道していた。
私がブログで指摘していた若手による「巡回仲介ボランティア」の重要性が裏打ちされるような内容だった。
石巻では、高齢のため瓦礫だらけの道を歩けないと判断した家族が、津波を免れた自宅の2階に身を寄せ合って生活しているが、こうした避難所外避難生活者は、差別・疎外感すら感じている。
湘南の場合は、構想マンションや団地もあり、上層階の在宅避難家族が多いと予測される。家屋被災から免れる地域も予想され、段階的な災害対策が求められる。公共避難所外の方々が情報不足に曝されることは、石巻と同じ課題を抱えることになる。
阪神淡路大震災のとき、この課題にメディアが取り組んだ。地域災害FMであり、なかには新聞配達所がチラシ配達協力をしたところもあった。電話回線の復旧とともに、原簿流出を免れた学校や地域自治会連絡網が動いた例もあったが、長期戦になると組織的な継続は出来なかったようだ。
認知症者や障がい者は、ハイ・ストレスに曝されることになり、保護者が場を離れることが出来ない事態が起こっていた。いったん、街に出てみると街は一変し、見えない危険に満ちていた。
私が東日本大震災のとき、同年5月に夜、大船渡駅から港湾方向に向かっていたとき、黒い影が闇の中に見えた。近づいてみると高齢女性が片足サンダルをなくしたまま徘徊しているのだとわかった。道は側溝のコンクリートが割れて穴を開けており、草の土手は車の滑った轍の跡が残っていた。周辺はしんと静まりかえり、誰の姿もみあたらなかった。女性に話しかけ、だましだまし、距離があったが開いていた薬局に飛び込み、保護してもらった。すっかり町並みの灯りの消えた道に迷い込んだ孤独と困惑はいかがなものだっただろう。割れたガラス片とコンクリート塊がころがる路側帯の向こうは危険地帯なのだ。
こうした目の離せない人を抱えた家族の支援は、近くの行政よりも、隣町の同じ境遇の方の連絡と支援が実際のところだという。被災初期段階から生活支援に入る方は少ないのが現状だ。求められる支援を明らかにし、初期段階から支援を呼びかける必要を感じる。
(つづく)
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(校正1回目済み)