2022/08/26 記
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(8/25からの続き)
現在、継続中の活動は、路上生活者支援のビッグイシュー販売支援活動と、要援護者支援の災害ボランティア活動として、懇話会活動がある。懇話会活動は、例会と若手活動作り(鶴嶺高ボラ塾/校内同好会育成)が主な活動だ。防災映画上映懇談は120回を前にコロナ中断している。
ある著名人の妨害で休止しているのは、障がい者の就労支援。ソーシャルファームの芽を孕んだ地域就労は、対象者との接点が途絶えて、ジョブパートナー制とともに休止している。
私の本業だった教育畑のしごとは、ついに7年前のキャッチアップ予備校講師の定年退職を境に、自閉スペクトラム症を中心とした不登校•引きこもりの若者の教育支援•生活支援は、新しい子との出会い機会の喪失から、休止状態にあり、重い困難を抱えた子のゲートキーパーの夜間傾聴は昨年3/31を持って40年の幕を閉じた。
今はコロナによって、だるまのように手足なく、日干しの衰弱死に睨みを効かせている。
(続く)
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母の通院先が皆休みとなり、母を近所のスーパーの買い物に無理やり連れ出して、散歩リハを隠然とやっている。ビデオ通話を最近覚えて、趣味仲間と話していることが増えた。ただスマホ所有の同世代がおらず、相手が若いので、若手に高齢者をゆだねているようで、こころぐるしい。
(他の
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ハッカーさんへ
もう20年になるか、平塚に高浜高校という公立校があって、そこに「乙女文楽」という部活動があった。
等身大の人形を自分の前面にはりつけて踊る、ちょっとかわった芸能だ。
私が、祭りの時に招待したのだが、はそれには訳があった。当時高浜高校は、積極的に不登校の子を受け入れていた。特技を持たせたいと教頭は乙女文楽も自慢するのだが、私は演じる女子高生が、自分ではなく役になれるからと、取材時に聞いて、ある特徴にきがついた。役者のように役になり切るのとも違い、人形を操っている自意識がありながら、四肢貼り付いた人形は、自分。でも踊っているのは人形、自分は黒子だというのだ。この隙間をあけた芸能は居心地が良さそうだった。
コロナが始まって、皆マスクをするようになったとき、引きこもり青年は解放感があったという。マスクが適度に表情をかくしたからだ。
乙女文楽も自分の分身が黒子の演者を隠してくれる居心地の良さがあった。
ハッカーさん、私にはあなたの画面の向こうの、顔がわからない。しかし居心地がいいですか。
(校正2回目済み)