2022/04/23 記
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昨日、湘工大からメールが来ていた。A3までの掲示希望原稿と希望枚数メモを添えて、話を聞くから、持ってきてくれという内容。赤・青・黒マジックの単純な手書きのものの方が目立つかなと思って、太いマジックインキ3本と紙を買ってきて、今、ポスターを書いているが、案外難しい。QRコードで詳細説明に跳ばすかなとも考えている。原稿は月曜日に持ち込む。
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大型連休が始まる。会いたい人がいる。しかし、皆他界している。「困ったものだね」と母に言うと、「そんなものだよ、私なんて、とうに皆、死んだりボケたり、「みんな嫁がやってくれるから、いいのよ」と言ってにこにこして、ぼけちゃった。人間ってこわい、善意の殺人だよ。「私、ボケるから覚悟しておきな」と諭されてしまった。こわい、こわい。ただ母がいう人々は寝床の上で死んでいる。私の会いたい友は不本意な死ばかりだ。棲んでいる現世との繋ぎの呪文は彷徨っているが、差し出した手のひらが宙をきる、世の中そんなものだ。冗談で親子丼を作って出したが、母は気づかなかった。俗だからではない。そういう言語が母にはないのだ。
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連休時は、さすがに母の見守り協力は頼めないだろう。
いつものトラブルのもとの、「読み上げ機のマウスコード」の予備は準備した。やたらに断線するのだ。
とにかく三井さよさんの取り掛かり中の書を読み終えることと、練馬・南大泉のヒビノクラシ舎(知的障がい自立支援)を訪問すること。だがこれも連休中は無理だろう。
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母の「めまい」は、そろそろ季節を脱するが、私の視野妨害の発作が再開するのでは仕方がない。眼圧に関係がありそうだということ、季節的に視野への太陽の低高度直射光が増える冬から春がいけないことが、経験的にわかっている。幸いなのは、白内障の傾向が強まっても網膜色素変性症の視野狭窄が逆に止まっていることだ。ピントが10数cmになろうと、見えていることだ。まだやれることがある。
印刷物は、横書き二段組みが一番読みやすい。これは眼球を動かさずに読める体。図表が一番の難物だが。
すでに中途失明者の社会参加方は、探り始めている。私の社会活動経験の活かし方は、わかっている。黙らないことだ。
連休になるたびに、しっかり孤独と向き合うことになる。いくら知人がいても、闇は私の課題。深呼吸して、やれることをやろうと念じる。
見える時、やっておくべきことは、やる。
(校正1回目済み)