2022/04/17 記
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わいわいと、4人のおしゃべり婆様が我が家にやってきた。年2回の湘南子どもフォーラム懇談会(SCF)の生き残り婆様(本当に「生き残り」。皆、惚けたり他界したり…)のお茶会以外は、親族以外他人の集まりに開放して来なかったので、化粧品販売の集まりは、ちょっと異様。母の見守りの苦肉の策だった。シワシワなのになどと、余計なことは言うまい。排除されるようにして、出かけた。
今回は議員の活動報告会だから、関係者以外まず参加しない。案の定、100%関係者。議員と後援会役員、招待者、だから野次馬は私だけ。人数より、話の中身が死んでいる。情勢のかけらもでてこない。組織の調整話ばかり。私は若い時、国会議員秘書見習いのようなバイトもしたので、政界の雰囲気は知っている。だから何十年も変わらないこの世界、他分野人脈は頼んでも無駄だと、あらためてため息をついた。
いけないのは、招待講演のノルウェーの民主主義の話。歴史的に語るが、女性の政治参加以外の観点が古色蒼然としており、民主主義教育の広がりの賞賛は、民主主義の形式化の過ちがあった。大切なのは、みっつ。
民主主義は
1)社会的課題の解決という場面と切り離して形式化してはならないこと。
2)意見の違うものの存在価値を、議論の相手として認めること。
3)代議制は背景に支援者らの課題解決の社会活動があって意味を持つ。代議制は代行サービスではないのと同様、代議制を支える民主主義もまた、個々の深い社会判断に依存していること。
この3点だ。振り回せば、社会的弱者を殺すことになる。いじめ・差別・DVなどに苦しむ者は、なたを振り回されるような恐怖を感じるだろう。無縁の祭りや、誤解に満ちた結論が押し付けられるのが常だからだ。無神経多数の多数派の論理もまた、民主主義なのだ。耳を澄ませ、それが民主主義の根幹なのだ。
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(校正2回目済み)