湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/26 鶴嶺高ボラ塾レポート「教訓と経験の齟齬と提言と」

2018-10-27 05:22:56 | 地震津波災害ボランティア
2018/10/26 記
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鶴嶺高校ボラ塾が終わった。今回はいろいろな経験をさせられた。初めに書くことは、私の講師職上の授業技術に関わる事です。関心がない方は、☆☆☆印まで跳んでください。

生徒数19名。昔の予備校、今の大き目な塾の一斉授業クラスの人数だから慣れてはいる。私の声は歯切れが悪いので、予備校の時はマイクを使っていた。今回は前の方に座らせるために、配布資料を事前に席の前に置くことで、自然と前に集まるようにさせてもらった。

ここ数年はグループ型にまとめたので気が付かなかったが、教室横断する配置で生徒が並ぶと、目が見えない側の生徒たちの様子が本当に見えないのだ。予想されたこととは言え、正直言って焦りを感じた。一斉授業は相手が集団でありながら、ひとりひとりと共感を結ばなくてはならない。その重要なカギがアイコンタクトとなるのだが、私が視野欠損・視力低下のために相手との関係を取り結べないのだ。私はパラソル状の関係と呼ぶのだが、要に教員を中心に置き、放射状の線によって外周の生徒と結んでいくのが教員の実感。生徒間の共感は、経験的には大切と分かっていても、それが授業形態としてなかなか体現されてこない。その欠陥が露骨に見えてしまった。さらには、私の普段の授業単位は90分。ところが今回は45+5分。さっそく冒頭から語りかけの線を結ばなければならない。この「さっそく」というところが難しかった。熟達者は、準備なく滑り込んでいく。初めからの関係作りではなく、学校文化の共通の約束事から中途出発していくことができるのだ。

私の友人にY君という若いNPOの主導者がいる。彼は一つの目的の枠組みの中にひとを押し込まない。多様な共通の絆を手繰り寄せては、その可能性を次々に編んでいく。教育者のように価値を伝達(私は『発酵』と考える)することは、彼にとって副次的かつ結果的な意味しか持たない。動的な成果を逃さず捉えて行く。だから私は彼を優秀な経営者の卵だと思っている。そこで見られるのは、お互いの出会いによって、何が可能かが問われていく。お互いは対等である。ところが旧来の教育では、教員と生徒の関係は非対称の水源モデルの様な上下関係を前提にしている。目的を持って相手を企画どおりに作り替えることが教育と呼ばれる。痩せた効率の知だ。

場が設定されており、目的達成のための短い時間が与えられている。この前提に立ち、TV落語のように、効果予測の上に立ち、演じられる。ゆえにショートカットとして、アイコンタクトや身体パフォーマンスを駆使するが、それが今回の場は露骨に阻害されていることが分かったのだった。

もうひとつの背筋が凍る出来事は、真円と水平線が書けなくなっていたこと。私は理系の授業を分担してきた。特に数学では真円と直線(特に水平線)が板書出来なくなっていることは、臨時代打と個別指導役のみになっている現状では影響が少ないが、現役なら致命傷となる。

原因は両手首の骨折の後遺症だった。教室には、しばらく放置された湿気たチョークが数本あった。今はダストレスが主流だが、折れない程度の硬度を持った非ダストレスチョークだった。軽い。時間短縮のために、事前に図式は板書しておくことにしたのだ。

ところがチョークが握れない。指が硬直していてチョークが安定しないのだ。次に、真円の場合、大きな円は、傾いた出発点の半円を、連続して描いていく感じとなる。右手には左足を、左手では右足を軸足にして全身で描いていく。50cm程度の円は、手首と肘の連携で描いていく。もともと私はWBに極太のWBマーカーの愛用者で、チョーク中心ではなかったが、黒板とチョークの描画時の摩擦は相当重い。この摩擦を超える力が指に入らないのだ。文字も一部は両手で描くことになり、その力みゆえ、水平線や平行線も片足軸の弧を描いてしまう。素人の線に逆戻りしてしまうのだった。愕然とした。

網膜色素変性症の眼差しは、視野のすき間を手繰りながら、対象を見る不安定さを持っている。探すがゆえに意思が視線に乗せられない。一斉授業では大づかみに複数名の視線とボディーランゲージを捉える作業を語りと併行して行っている。これが2列目までしか見えなくなっていた。

災害ボランティアの企画提案の前に、私の体は壊れているという当然の事実にさらされることになった。


☆☆☆
また今回は「高校生が独自に担って欲しい災害ボランティア領域」の話は、高1という年齢ゆえの予備知識不足という対話環境作りの困難と、伝えたい情報量の多さと複雑さが、語りの前に立ちはだかっていた。

生徒の災害に対する知見の少なさも問題になる。例えばこんな実話を話してみた。私の手首骨折と救急外来の状況の経験談だ。

私は6月末、平塚駅ビル通路に置いて、糖尿病新薬の副作用によって失神転倒し、救急車で平塚共済病院に運び込まれた。ところがER(救急外来)には、土曜夜ゆえか、整形外科医不在でギブスを巻ける者がおらず、固定棒とシーネによる簡易処置を施され、ギブスに巻き直すために、自費で平塚市民病院に行くように指示された。ところが平塚市民病院は緊急手術が終わっておらず、実質拒否された。ところが他の市内の救急病院は整形外科医が宿直していなかった。東海大学附属病院(おそらく伊勢原ではなく大磯の意味だろう)に問い合わせと言い出した。

私が茅ケ崎の人間なので、茅ケ崎の病院に繋いでほしいと要望すると、職員のたらいまわしが始まった。広域医療圏域が違うのだと気づき、茅ケ崎徳洲会病院に問い合わせて欲しいと病院を指定して頼んだところ、自分で119し直し、指示をあおぐようにと言われ、私が反発。茅ケ崎徳洲会病院につないだとの話をうけて、茅ケ崎徳洲会病院に向かった。ところが茅ヶ崎徳洲会病院には、整形外科がなく、さらには共済病院から連絡をもらっていないという。東部病院も市立病院もERに整形外科医がおらず、茅ケ崎中央病院は受け入れていないという。次に藤沢辻堂徳洲会病院では3時間待たされて、整形外科の処置が出来ないということで夜が明け、結局、1日あけた月曜日、湘南中央病院の一般外来で朝、処置を受けたという話をした。

ところが、病院のたらいまわしの話として大変なのだという話として受け取られ、そのあと私が話した災害時の救急医療体制の恐ろしいお粗末な実情という話は、誰も予想していなかった。痛い怪我が引き伸ばされることへの嫌悪と、たらいまわしの他の事例の知識が語られるに留まった。問題はこのずれ、一歩奥が見えない。経験とはこういうことをいう。整形外科医がERにいないという、発災時の悪夢は誰もそこから連想できなかったのだ。ましてや診療科・医療圏域という縦割り医療の柔軟性を欠いた対応など、連想するどころではなかった。

経験の差とは同一の情報を与えられたとき、連想の膨らみが如何に発生するかという違いだろう。

関東大震災のとき、熱海には12mの津波が来たと語るとき、熱海がどこにあり、12mの津波の想像、当時の熱海の街並みと被害の特徴、さらには活断層の話など膨らませることはできるが、言葉の無力さは覆うべくもなかった。驚いているが、被災地訪問したときの驚きにはかなわない。見学を抜きに、「一般被災者」と「要援護被災者(見えない被災者)」の存在、「災害時御用聞き支援(在宅避難者支援)」の2つの言葉を最低限残したいと考えた。いかに重要か繰り返しても、彼らの心に呼応するものがなければ、消えてしまう。

だから苦肉の策だがスローガン化して、記憶の隅に残してほしいと訴えた。それは「見えない被災者(災害弱者)」と「在宅避難者をつなぐ御用聞き支援」のふたつだ。

問題はさらに深い。「御用聞き」を彼らは知らないのだ。これは短時間だが彼らと対話し「情報と物資のメッセンジャー(健康確認を含む)」のことと説明した。

始め災害は幅広く、「伝染病・風水害・地震津波」があるが今回は「地震津波」に話を絞ると伝えておいた。

急性期と慢性記では役割がかわる。この説明も通じているとはおもわない。被災と生活再建の経過的把握がないからだ。

改めて災害ボランティアにとって、最近何が変わったかなと考える。豪雨と土砂災害・浸水被害が災害ボランティアの仕事に加わった。ゆえに防災研修は膨らんで大変な状態になっている。

夜間傾聴:なし
(校正2回目済み)
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