日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

防災の日

2016年09月01日 | 社会 政治
 
 突然の気温変化によりクーラーとお別れ、セミの声もまばらになり秋の気配が張り出した。このまま秋本番へと進むんだろうか、いや進んでほしい。今日から2学期、昨日までのラジオ体操会場へ向かう児童らの自由な服装姿が、今朝は奨励服姿に変わり並んで登校していく。大事そうに大きな包みを抱えているのは夏休みの作品だろう。今朝も明るい声に元気をもらう。

 この子らが成長していく中で良いことばかりではなく様々な望みもしない障害に出会うだろう。そんな一つに災害がある。今日は防災の日、各地で自然災害を想定した訓練が行われる。台風と地震はその顕著な例かもしれないが最近がその被害が大きい。このところの発生を思うと「異常や想定外」という例外扱いはできなくなった。検証に基づいた改善策が求められる。

 映像で見る土砂に埋もれた家屋、それに比べれば小さな被害だが1951(昭和26)年のルース台風で我が家は別棟の風呂が流された。その時の土石流が、床下にそのままになっていた戦時中の防空壕に溜まった。子どもなりにバケツで汲みだす手伝いをしたことを思い出す。臥竜橋は流失し通学は不可、渡し船が通るまで地域の寺の本堂で学んだ。

 地震発生時における児童らの訓練の様子を報道で見る。教えられた通り一斉に真剣な顔をして行動をとる様子に安心しながら、どのような地震にも耐えられる校舎は無いものかと思いもする。在職中、抜き打ちの非常訓練の経験がある。勤務中のプラントが発災箇所とされた。反省の席で職場の全員がいい経験になったと総括したことを思い出す。そこには計画的に行われる訓練の積み重ねが活かされていた。映像で見る、紙に書かれた内容にそっただけの訓練には一考を要す。
コメント (2)
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